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1950年代末に始まり、1986年の死の直前までつづく、迷宮のごとき土方巽の多彩な舞踏活動を、色彩豊なポスターをポータルにしてガイダンス

650EXPERIENCE の会 《土方巽DANCE EXPERIENCEの会》 1961.9.3

会場
第一生命ホール(日比谷)
作品名
 
 
半陰半陽者の昼さがりの秘儀●参章
●発作によるCROISe ●半陰半陽者の昼さがりの秘儀 ●作舞家の腫物 /
砂糖菓子●四章 <舌の上の甘い砂糖菓子・そして歯のある器>
構成・演出・振付
土方巽
出演
土方巽 / 大野一雄 / 若松美黄 / 遠藤善久 / 藤井邦彦 / 大野慶人 / 川名かほる / 石井満隆 ほか
美術
加納光於 / 吉村益信 / 田中不二夫
音響
安田収吾 / 住谷智
照明
丸岡寿昭
関係者
細江英公 / 三島由紀夫 / 瀧口修造 / 澁澤龍彦 / 谷川俊太郎

About the poster

寸法
73.5*51.5
デザイン
加納光於 KANO Mitsuo

About the performance

前年に続く、土方巽の2回目のリサイタル。大野父子をはじめ、津田塾の若松美黄らが参加。こののち、土方の作品に出演することになる石井満隆がはじめて出演。

プログラムに寄せた「燔祭の舞踊家」と題する澁澤龍彦の文章には、「ダンスの可能性を犯罪的虚構においてとらえるために、 日常性を削ぎ落としたあとの新しい肉体概念としての半陰半陽者を創造する」とある。 澁澤の影響もあってか、土方のダンスのモチーフは、アンドロギュヌス=ヘルマフロディットへと移っている。

土方の秘儀の具体的な形姿は、輪になって居並ぶ黒頭巾の男たちが観客に背を向け、頭と腕を隠して立つことである。 社会への反抗や妥協を拒否する象徴的姿勢であろう。

ネオダダの吉村益信が舞台に出る土方の体に石膏を塗る。舞踏の白塗りの始まりともいわれる。

プログラムに三島由紀夫、チラシに瀧口修造が寄稿。また、ジョルジュ・バタイユの詩論の一節が引用、掲載されている。 ポスターは加納光於で、当時の加納光於の作品シリーズ「イプロス」をうかがわせる。

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