RCAAA/Archives
Research Center for the Arts and Arts Administration
Keio University, Tokyo
HIJ
LISTING: HIJ/C1/04
page released: Autumn, 2008
• 04.001 |
西哲夫「これが真の〈芸術〉だ 街頭に躍り出た暗黒舞踊(ママ)」『国際写真情報』、国際情報社、1960年10月、pp. 61-65。 |
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• 04.002 |
土方巽、寺山修司、大島渚、松本俊夫、塩瀬宏、真鍋博「芸術の状況」『三田文学』、三田文学会、1961年1月、pp. 9-42。 |
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• 04.003 |
土方巽「刑務所へ」『三田文学』、三田文学会、1961年1月、pp. 45-49。 |
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• 04.004 |
春日井建「太陽の無垢」『短歌』、中部短歌会、1962年7月、pp. 4-5。 |
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• 04.005 |
埴谷雄高「動と静のリズム」『世界』、岩波書店、1962年8月、pp. 382-386。 |
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• 04.006 |
針生一郎「前衛芸術に疲れました」『藝術新潮』第13巻、第8号、新潮社、1962年8月、pp. 148-153。 |
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• 04.007 |
加藤郁乎「秋記」『夜盗派』復刊一号(第30号)、夜盗派の会、1964年1月1日、pp. 5-9。 |
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• 04.008 |
澁澤龍彦「エロチック文学史のための序説」『本の手帖』、昭森社、1965年7月、pp. 366-374。 |
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• 04.009 |
細江英公「連載――男性1 モデル澁澤龍彦」『アサヒカメラ』増大号、朝日新聞社、1965年10月、pp. 154-157。 |
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• 04.010 |
澁澤龍彦「あるエネルギー・現代の不安を踊る」『宝石』第2号、光文社、1987年1月15日。 |
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• 04.011 |
「踊る“暗黒”グループの土方巽」『週刊現代』、講談社、1965年12月16日。 |
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• 04.012 |
加藤郁乎「土方巽のテレプラズム」『美術手帖』、美術出版社、1966年2月、pp. 66-67。 |
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• 04.013 |
篠原有司男「前衛への道1 篠原有司男自伝」『美術手帖』、美術出版社、1966年2月。 |
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• 04.014 |
澁澤龍彦「ホモ・エロティクス――ナルシシズムと死について」『展望』第96号、筑摩書房、1966年12月。 |
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• 04.015 |
土方巽「演劇のゲーム性」『南北』、南北社、1967年5月、pp. 61-65。 |
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• 04.016 |
秋山駿、田畑麦彦、日沼倫太郎「文学――沈黙と表現」『南北』、南北社、1967年6月。 |
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• 04.017 |
澁澤龍彦「踊る『形而情学』」『詩と批評』、昭森社、1967年9月、pp. 41-43。 |
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• 04.018 |
「座談会 本質論的前衛演劇論」『三田文学』、三田文学会、1967年11月、pp. 8-37。 |
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• 04.019 |
土方巽、中西夏之(対談)「白いテーブル・クロスがふれて」『美術手帖』、美術出版社、1968年6月、pp. 182-195。 |
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• 04.020 |
種村季弘「暗黒舞踊家・土方巽の狂気」『美術手帖』、美術出版社、1968年6月、pp. 22-23。 |
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• 04.021 |
「スネークのヨーコ=モダンダンサー」『アサヒグラフ』、朝日新聞社、1968年6月14日、pp. 20-21。 |
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• 04.022 |
富岡多恵子「土方巽・漆黒の素踊り」『美術手帖』、美術出版社、1968年7月、pp. 160-169。 |
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• 04.023 |
澁澤龍彦「肉体の不安に立つ暗黒舞踊」『展望』第115号巻、筑摩書房、1968年7月、pp. 100-103。 |
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• 04.024 |
土方巽「肉体の闇をむしる」『展望』第115号、筑摩書房、1968年7月、pp. 104-106。 |
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• 04.025 |
「石井満隆ダンス・リサイタル」『美術手帖』、美術出版社、1968年8月、pp. 40-41。 |
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• 04.026 |
羽永光利「異端の舞踊家石井満隆」『芸術生活』、芸術生活社、1968年9月、pp. 65-71。 |
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• 04.027 |
「華麗なる狂気」『平凡パンチ』、平凡社、1968年10月28日、p. 36。 |
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• 04.028 |
「写真〈情死〉・撮影: 深瀬昌久〈ピエタ〉、〈キリストの昇天〉撮影: 早崎治 モデル: 土方巽」『血と薔薇』1号(創刊号)、天声出版、1968年11月。 |
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• 04.029 |
鈴木志郎康「純粋桃色大衆を孕む暗黒子宮は形成されて 唐十郎・土方巽・つげ義春」『現代詩手帖』、思潮社、1968年11月、pp. 26-31。 |
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• 04.030 |
「女弟子を半狂乱にさせる暗黒舞踏教祖・土方巽の正体」『週刊プレイボ-イ』、集英社、1968年11月5日、pp. 48-49。 |
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• 04.031 |
岡田隆彦「土方巽舞踏公演」『SD(スペ-スデザイン)』、鹿島研究所出版、1968年12月、pp. 73-76。 |
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• 04.032 |
「地球を失神させろ!――国際的版画家・池田満寿夫」『宝石』、光文社、1968年12月。 |
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• 04.033 |
「土方巽と日本人」『MODERN DANCE』第4巻、モダン・ダンス編集室、1968年冬、p. 9。 |
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• 04.034 |
「鍵のかかる女」『血と薔薇』第2号、天声出版、1969年1月。 |
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• 04.035 |
「土方巽」『毎日グラフ』、毎日新聞社、1969年1月5/12日、pp. 12-19??。 |
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• 04.036 |
佐藤健「土方巽さん 暗黒の舞台を躍る魔神」『毎日グラフ』、毎日新聞社、1969年2月2日。 |
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• 04.037 |
唐十郎「私的兵法・跳梁跋扈の巻――新宿・西口中央公園の『状況劇場』公演をめぐって」『美術手帖』、美術出版社、1969年3月、pp. 144-151。 |
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• 04.038 |
「制服の処女」『血と薔薇』第3号、天声出版、1969年3月。 |
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• 04.039 |
「宇宙時代を演出する」『毎日グラフ』、毎日新聞社、1969年3月30月、pp. 25-29。 |
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• 04.040 |
種倉紀昭「詩画集「あんま」について」『月刊小さな蕾』、大門出版、1969年4月、pp. 39-42。 |
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• 04.041 |
酒井弘司「まんだら屋敷考」『ユニコ-ン』第3号、ユニコーン・グループ、1969年4月、p. 13。 |
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• 04.042 |
細江英公「モデルと私――銀粉ダンサー・芦川羊子」『週刊サンケイ』、産経新聞出版局、1969年4月07日、p. 139。 |
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• 04.043 |
土方巽「犬の静脈に嫉妬することから」『美術手帖』、美術出版社、1969年5月。 |
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• 04.044 |
「肉体に潜む悪魔を踊る 土方巽」『婦人画報』、婦人画報社、1969年5月、pp. 206-207。 |
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• 04.045 |
「歴史」『眼光戦線』第7号巻、春木一端、1969年5月、pp. 6-7。 |
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• 04.046 |
高橋睦郎「細江英公・写真術・私」『季刊写真映像』第1巻、写真評論社、1969年5月1日、pp. 41-45。 |
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• 04.047 |
土方巽「細江英公と私」『季刊写真映像』第1巻、写真評論社、1969年5月1日、pp. 48-49。 |
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• 04.048 |
「細江英公にきく」『季刊写真映像』第1巻、写真評論社、1969年5月01月、pp. 53-59。 |
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• 04.049 |
「森と湖の北海道にやって来た春と夏」『毎日グラフ』、毎日新聞社、1969年7月27日、pp. 26-33。 |
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• 04.050 |
「ミニスカートのつぎは貞操帯で」『週刊文春』、文芸春秋、1969年7月28月、pp. 32-36。 |
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• 04.051 |
加藤郁乎「笠井叡・天使を犯すオベリスク」『美術手帖』、美術出版社、1969年9月、pp. 146-155。 |
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• 04.052 |
金井美恵子「肉体論へ序説第一歩」『現代詩手帖』、思潮社、1969年9月、pp. 20-26。 |
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• 04.053 |
笠井叡「文明は肉体の内に死滅せよ」『現代詩手帖』、思潮社、1969年9月、pp. 32-39。 |
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• 04.054 |
深瀬昌久「兇」『季刊写真映像』第2巻、写真評論社、1969年9月25月、pp. 7-42。 |
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• 04.055 |
「私は“からだ人間”土方巽」『潮』第117号、潮出版社、1969年10月。 |
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• 04.056 |
土方巽「肉体に眺められた肉体学」『現代詩手帖』、思潮社、1969年10月、pp. 30-35。 |
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• 04.057 |
土方巽「腐肉の思想」『随筆サンケイ』、サンケイ新聞社出版局、1969年11月、pp. 28-30。 |
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• 04.058 |
渋沢孝輔「袋小路あるいは断片」『現代詩手帖』、思潮社、1969年11月、pp. 16-21。 |
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• 04.059 |
渋沢孝輔「詩人の書く権利と笑いの構造(書きこみ)」『現代詩手帖』、思潮社、1969年12月。 |
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• 04.060 |
中嶋夏「郷愁としてのダルマ」『現代詩手帖』、思潮社、1969年12月、pp. 35-36。 |
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• 04.061 |
佐藤重臣「いま妍を競うアングラ美女」『週刊アサヒ芸能』、徳間書店、1970年。 |
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• 04.062 |
加藤郁乎「二つの舞踏体験」『美術手帖』、美術出版社、1970年1月、pp. 146-147。 |
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• 04.063 |
金井美恵子「とりとめもなく」『MODERN DANCE』第8巻、モダン・ダンス編集室、1970年1月(冬)、pp. 26-29。 |
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• 04.064 |
「笠井叡舞踏会」『MODERN DANCE』第8巻、モダン・ダンス編集室、1970年1月(冬)。 |
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• 04.065 |
「フリーセックスなんて大きらい――貞操帯を作りつづけろ土井典子さん」『週刊ポスト』、小学館、1970年4月03日。 |
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• 04.066 |
若松美黄「軽薄な舞踊」『MODERN DANCE』第7巻、モダン・ダンス編集室、1970年4月(春) 、pp. 29-32。 |
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• 04.067 |
山野博大、長谷川六「1969年のモダン・ダンス界を歩く」『MODERN DANCE』第7巻、モダン・ダンス編集室、1970年4月(春) 、pp. 33-36。 |
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• 04.068 |
土方巽、唐十郎「光と闇を駆け抜ける」『海』、中央公論、1970年5月、pp. 126-143。 |
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• 04.069 |
ヨシダ・ヨシエ「闇・恐怖・怨恨〈肉体の奥地〉」『ぴえろた』、母岩社、1970年6月、pp. 56-63。 |
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• 04.070 |
ヨシダ・ヨシエ「土方巽――むしりとる闇の彼方」『美術手帖』、美術出版社、1970年6月、pp. 74-77。 |
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• 04.071 |
市川雅「現代舞踊の状況」『美術手帖』、美術出版社、1970年6月、pp. 48-61。 |
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• 04.072 |
「ミラー夫人の大熱演」『週刊大衆』、双葉社、1970年6月11日。 |
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• 04.073 |
嵐山光三郎「深夜のマゾヒスト会 -ヤプーパーティーでのマゾゲーム- “化”畜人ヤプー氏ゴーゴーを踊る」『実話情報 』、文献資料刊行会、1970年7月、pp. 128-134。 |
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• 04.074 |
「知らぬは亭主ばかりなり ONLY GOD KNOWS ホキ徳田」『問題小説』、徳間書店、1970年8月、pp. 149-152。 |
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• 04.075 |
「暗黒舞踏・土方巽グループの会費5千円のヌードショー」『週刊サンケイ』、産経新聞出版局、1970年8月3日、pp. 136-137。 |
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• 04.076 |
「裸のからみ合い」『週刊サンケイ』、産経新聞出版局、1970年8月3日。 |
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• 04.077 |
平川嗣朗「これも前衛という女二人」『週刊新潮』、新潮社、1970年9月26日。 |
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• 04.078 |
嵐山光三郎「加藤郁乎「荒れる夜」」『現代詩手帖』、思潮社、1970年10月、pp. 110-113。 |
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• 04.079 |
「地獄の舞踏家土方巽「歩行者天国」を踊る」『KEN』第2号、写研、1987年1月15日、p. 139。 |
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• 04.080 |
黒木和雄「50年体験を超えるもの〈日本の悪霊〉映画化」『映画芸術』、大和書房、1970年10月01月、pp. 104-108。 |
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• 04.081 |
土方巽「肉体」『中央公論』、中央公論、1970年11月、pp. 197-199。 |
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• 04.082 |
ヨシダ・ヨシエ「言葉を自滅させる瞬間」『SD(スペ-スデザイン)』、鹿島研究所出版、1970年11月、p. 104。 |
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• 04.083 |
ヨシダ・ヨシエ「廃墟と肉体――憂肉の性・阿部定にふれて」『眼』第4号、杉並シネクラブ、1970年11月、pp. 88-93。 |
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• 04.084 |
古沢俊美「土方巽「燔犠大踏鑑」」『美術手帖』、美術出版社、1970年11月、pp. 102-103。 |
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• 04.085 |
石沢秀二「人間追跡⑤観世寿夫」『中央公論』、中央公論社、1970年11月。 |
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• 04.086 |
「前衛舞踏会への招待」『週刊プレイボ-イ』、集英社、1970年11月10日、[グラビア]。 |
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• 04.087 |
「卑弥呼の後裔」『朝日ジャ-ナル』、朝日新聞社、1970年11月15日、pp. 55-61。 |
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• 04.088 |
「滅びゆく人間のもだえ」『毎日グラフ』、毎日新聞社、1970年11月15日。 |
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• 04.089 |
「舞踏の悪霊」『世界画報』、国際情報社、1970年12月、pp. 62-67。 |
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• 04.090 |
吉増剛造「人間追跡6 土方巽」『中央公論』第特大号巻、中央公論社、1970年12月、グラビア。 |
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• 04.091 |
土方巽「暗黒舞踏の登場感覚」『Fashon's Eye 』第6号、ワコール宣伝部、1970年、pp. 40-44。 |
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• 04.092 |
嵐山光三郎「呪詛と哄笑――暗黒舞踏とテント芝居」『情念 / ブラック』、1971年、pp. 43-49。 |
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• 04.093 |
森茉莉「蒸留水の純粋 -可哀さうな、可哀さうな三島由紀夫-」『新潮』臨時増刊 三島由紀夫読本、新潮社、1971年1月、pp. 191-192。 |
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• 04.094 |
古沢俊美「“肉体”として顕在化される舞踏」『美術手帖』、美術出版社、1971年1月、pp. 20-21。 |
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• 04.095 |
「土方巽燔犠大踏鑑暗黒舞踏」『序章』第4号、京都大学出版会、1971年1月20日、pp. 5-12。 |
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• 04.096 |
「才女が脱ぐ」『週刊サンケイ』、産経新聞出版局、1971年1月25日。 |
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• 04.097 |
武満徹「人間追跡⑤瀧口修造」『中央公論』、中央公論社、1971年2月。 |
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• 04.098 |
篠山紀信「エロティシズム(3) Photo Essay」『小説新潮』、新潮社、1971年3月。 |
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• 04.099 |
「特集日本幸福論、この100人の“しあわせ”を追う、松永安左衛門(95)から藤圭子(18)まで」『潮』第137号、潮出版社、1971年3月、pp. 132-133。 |
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• 04.100 |
「芸術’71――前衛舞踏」『ぴえろた』、母岩社、1971年4月、[グラビア]。 |
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• 04.101 |
久民「拠点空間ガイド」『美術手帖』、美術出版社、1971年4月、p. 25。 |
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• 04.102 |
土方巽「精神と肉体 四次元の舞踏」『新評』、評論新社、1971年5月、pp. 76-79。 |
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• 04.103 |
川人忠幸「蛞蝓」『話の特集』、話の特集、1971年6月1日、pp. 7-14。 |
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• 04.104 |
ヨシダ・ヨシエ「戦後前衛所縁の荒事十八番――肉体叛乱の予兆」『美術手帖』、美術出版社、1971年9月、pp. 224-232。 |
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• 04.105 |
土方巽「暗黒舞踏舞踏派・土方巽」『美術手帖』、美術出版社、1971年10月、pp. 64-65。 |
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• 04.106 |
「まつりは芝居のそばにある」『美術手帖』、美術出版社、1971年11月、pp. 93-112。 |
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• 04.107 |
小島啓佑「365日ハダカの二人 -芦川羊子・小林嵯峨-」『週刊新潮』、新潮社、1971年11月6日。 |
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• 04.108 |
巖谷國士「宇宙論へ擬せられた舞踏」『美術手帖』、美術出版社、1971年12月、pp. 24-25。 |
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• 04.109 |
ヨシダ・ヨシエ「単独行為者の超劇場」『美術手帖』、美術手帖出版社、1971年12月、pp. 49-63。 |
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• 04.110 |
宗太郎「芦川羊子」『週刊大衆』、双葉社、1972年1月20日。 |
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• 04.111 |
古沢俊美「現代日本の舞踏家たち」『黒の手帖』、檸檬社、1972年2月、p. 33。 |
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• 04.112 |
小野塚誠「弾充の世界」『えんとつ』創刊号、東京写真大学短期大学部学生自治会、1972年3月、pp. 18-19。 |
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• 04.113 |
生田耕作「廃屋の狂気のなかで――土方巽燔犠大踏鑑公演」『美術手帖』、美術出版社、1972年3月、p. 13。 |
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• 04.114 |
矢川澄子「天翔けるもの――笠井叡の“踊る”」『美術手帖』、美術出版社、1972年3月、pp. 188-197。 |
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• 04.115 |
唐十郎「時間の腹を蹴るバラの拍車――土方巽燔犠大踏鑑公演を観る」『美術手帖』、美術出版社、1972年4月、pp. 328-341。 |
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• 04.116 |
『週刊サンケイ増刊』、産経新聞出版局、1972年4月10日。 |
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• 04.117 |
伊東守男「“暗黒派”よ尻尾を!」『美術手帖』、美術出版社、1972年11月、pp. 14-15。 |
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• 04.118 |
細江英公「連載――顔11 モデル玉野黄市」『アサヒカメラ』特別増大号、朝日新聞社、1972年11月、pp. 181-185。 |
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• 04.119 |
「闇の命脈」『朝日ジャ-ナル』、朝日新聞社、1972年11月3日。 |
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• 04.120 |
天沢退二郎「燔犠大踏鑑」『太陽 』第1973年1月号巻、平凡社、1972年12月、p. 180。 |
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• 04.121 |
中村文昭「超絶技・麿赤児の一本勝負 今何処」『映画評論』、映画出版社、1972年12月、pp. 58-63。 |
|
• 04.122 |
中村金太郎「潜空艦“大駱駝”浮上せり!――シャーマンしはじめる航海の楽土における駱駝瘤に関する研究報告」『映画評論』、映画出版社、1972年12月、pp. 64-68。 |
|
• 04.123 |
福田善之、天沢退二郎「廃墟に屹立する肉体 -土方巽の暗黒舞踏にふれる-」『現代の眼』特集 現代革命戦争とゲリラ、現代評論社、1972年12月、pp. 244-254。 |
|
• 04.124 |
「土方巽」『THE OTHER MAGAZINE』第21巻、ブロンズ社、1972年12月01日、pp. 9-12。 |
|
• 04.125 |
「暗黒舞踏はおいしい」『THE OTHER MAGAZINE』第21巻、ブロンズ社、1972年12月01月、pp. 64-79。 |
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• 04.126 |
「暗黒舞踏の幻術師 土方巽」『週刊サンケイ』、産経新聞出版局、1972年12月8日。 |
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• 04.127 |
「新宿に帰ってきた教祖・土方巽」『毎日グラフ』、毎日新聞社、1972年12月10日。 |
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• 04.128 |
出口裕弘「「燔犠大踏鑑」土方巽の暗黒舞踏 「時」に逆らう」『芸術生活』、芸術生活社、1973年1月、[グラビア]。 |
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• 04.129 |
芦川羊子「玉になる」『同時代演劇』、ル・マルス、1973年1月、pp. 116-122。 |
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• 04.130 |
「状況劇場年譜 1966」『同時代演劇』、ル・マルス、1973年1月、p. 154。 |
|
• 04.131 |
市川雅「世界舞姫物語抄」『美術手帖』、美術出版社、1973年1月、pp. 66-75。 |
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• 04.132 |
ダン・ケニイ「地に這え! 地に潜れ!」『美術手帖』、美術出版社、1973年2月、pp. 147-150。 |
|
• 04.133 |
吉岡実「聖あんま語彙篇」『美術手帖』、美術出版社、1973年2月、pp. 151-152。 |
|
• 04.134 |
唐津優子「からすなぜなくの」『美術手帖』、美術出版社、1973年2月、pp. 124-151。 |
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• 04.135 |
天沢退二郎「何を踏み抜くか? 語よ行為よ」『太陽』、平凡社、1973年2月、p. 160。 |
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• 04.136 |
「写真『燔犠大踏鑑・四季のための二十七晩』」『美術手帖』、美術出版社、1973年2月、pp. 105-120。 |
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• 04.137 |
郡司正勝「死という古典舞踏」『美術手帖』、美術出版社、1973年2月、pp. 121-123。 |
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• 04.138 |
鈴木志郎康「『燔犠大踏鑑』極私的感想」『美術手帖』、美術出版社、1973年2月、pp. 123-126。 |
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• 04.139 |
小林正佳「地の舞踊」『美術手帖』、美術出版社、1973年2月、pp. 127-132。 |
|
• 04.140 |
吉増剛造「『燔犠大踏鑑』」『美術手帖』、美術出版社、1973年2月、pp. 132-136。 |
|
• 04.141 |
山口猛「乏しき時代の詩人の啓示」『美術手帖』、美術出版社、1973年2月、pp. 136-139。 |
|
• 04.142 |
中村宏「精神地形學的土方巽鈔」『美術手帖』、美術出版社、1973年2月、pp. 140-144。 |
|
• 04.143 |
鈴木忠志「孤絶の死を歩む」『美術手帖』、美術出版社、1973年2月、pp. 144-147。 |
|
• 04.144 |
市川雅「燔犠大踏鑑」『燔犠大踏鑑月報』、アスベスト館、1973年8月15日、pp. 1-2。 |
|
• 04.145 |
扇田昭彦「風男」『燔犠大踏鑑月報』、アスベスト館、1973年8月15月、p. 2。 |
|
• 04.146 |
土方巽「或る場所にある卵ほどさびしいものはない」『ユリイカ』、青土社、1973年9月、pp. 73-75。 |
|
• 04.147 |
兵頭哲「フラメンコ ララララ」『肉体言語』第7巻、肉体言語舎、1973年9月、pp. 31-57。 |
|
• 04.148 |
HATTA「人間の貧しさを鋭く凝視 -土方巽の舞踏と「冥の会」の公演から-」『朝日ジャ-ナル』、朝日新聞社、1973年9月28日、p. 71。 |
|
• 04.149 |
ヨシダ・ヨシエ「凍った大地に原型を求める闇の踊り」『毎日グラフ』、毎日新聞社、1973年9月30日。 |
|
• 04.150 |
長尾一雄「Lie lie lie――うその土方巽論」『新劇』、白水社、1973年11月、pp. 54-63。 |
|
• 04.151 |
岸田劉生「童女舞姿(切り抜きあり)」『アサヒグラフ』、朝日新聞社、1973年11月25日、p. 5。 |
|
• 04.152 |
茨木憲、小田島雄志、日下令光、藤田洋、戸板康二「新劇の魅力をさぐる」『悲劇喜劇』、早川書房、1973年12月、pp. 36-54。 |
|
• 04.153 |
天沢退二郎「天賦典式に沿って」『終末から』第4号巻、筑摩書房、1973年12月30日、pp. 160-165。 |
|
• 04.154 |
加藤郁乎「後方見聞録(二)土方巽の巻」『現代の顔』、ワールド・エコノミィ出版、1974年4月、pp. 44-51。 |
|
• 04.155 |
中嶋夏「贋作 反対姫業怒」『現代詩手帖』、思潮社、1974年6日、pp. 59-63。 |
|
• 04.156 |
渡辺広士「カフカの日記――根源的な不幸の記録(書き込み)」『現代詩手帖』、思潮社、1974年6月。 |
|
• 04.157 |
「仮面 暗黒舞踏団「白桃房」を主宰する芦川羊子」『新劇』、白水社、1974年8月、pp. 110-112。 |
|
• 04.158 |
長尾一雄「暗黒芝居見物」『新劇』、白水社、1974年10月、pp. 21-23。 |
|
• 04.159 |
「さしえマンガに見る昭和の50年(しおりあり)」『アサヒグラフ』、朝日新聞社、1974年10月30日。 |
|
• 04.160 |
『新劇』、白水社、1974年12月。 |
|
• 04.161 |
岡田隆彦ほか「今年度の主要詩集13冊」『現代詩手帖』、思潮社、1974年12月。 |
|
• 04.162 |
安永稔和「尾駮」『現代詩手帖』、思潮社、1974年12月。 |
|
• 04.163 |
「日本の土俗を踊る〈暗黒舞踏〉の女 -シアター・アスベスト館 芦川羊子-」『週刊新潮』、新潮社、1974年12月5日。 |
|
• 04.164 |
「アスベスト館広告」『新劇』、白水社、1975年3月、p. 131。 |
|
• 04.165 |
吉行淳之介「〈おおー〉と風だるまが座敷に…東北人の訪問」『週刊読売』、読売新聞社、1975年4月12日、pp. 118-123。 |
|
• 04.166 |
衛紀生「生と性との邂逅――したたかに〈女〉であることを」『新劇』、白水社、1975年5月、pp. 34-39。 |
|
• 04.167 |
「大駱駝艦」『MODERN DANCE』第14巻、モダン・ダンス編集室、1975年7月(夏)。 |
|
• 04.168 |
「芦川羊子」『MODERN DANCE』第14巻、モダン・ダンス編集室、1975年7月(夏)。 |
|
• 04.169 |
「アスベスト館続館びらき」『MODERN DANCE』第14巻、モダン・ダンス編集室、1975年7月(夏)、p. 29。 |
|
• 04.170 |
ヨシダ・ヨシエ「行為に関する覚書――ある夜、ひざをかかえて、己が仕草を凝視め」『MODERN DANCE』第14巻、モダン・ダンス編集室、1975年7月(夏)、pp. 40-41。 |
|
• 04.171 |
山田真理「白桃房おんな図――大上段に振りかぶって、半分も切れなかったお話」『MODERN DANCE』第14巻、モダン・ダンス編集室、1975年7月(夏)、p. 42。 |
|
• 04.172 |
衛紀生「風を犯す渇き――北方舞踏派の助走」『新劇』、白水社、1975年8月、pp. 72-83。 |
|
• 04.173 |
天沢退二郎「北方舞踏派の『塩首』を見る」『アサヒグラフ』、朝日新聞社、1975年11月21日、pp. 36-45。 |
|
• 04.174 |
伏久田喬行「ビショップ・山田――異装するオリジン」『美術手帖』、美術出版社、1975年12月、pp. 190-207。 |
|
• 04.175 |
長尾一雄「遠くからの声が聞こえる」『新劇』、白水社、1976年2月、pp. 22-27。 |
|
• 04.176 |
羽永光利「行為の模索――六〇年代」『流動』新年特別号、流動、1976年2月。 |
|
• 04.177 |
流動編集部「六〇年代に活躍した一〇〇人」『流動』新年特別号、流動、1976年2月、pp. 144-147。 |
|
• 04.178 |
合田成男「舞踏批評を生きる」『肉体言語』第8巻、肉体言語舎、1976年2月、pp. 3-18。 |
|
• 04.179 |
澁沢龍彦「闇に描く異形の世界」『毎日グラフ』、毎日新聞社、1976年3月21日、pp. 51-55。 |
|
• 04.180 |
「中嶋夏、三年ぶりの舞台、刺激的な毎日」『サンデ-毎日』第3013号、毎日新聞社、1976年5月2日、p. 39。 |
|
• 04.181 |
「グラビア」『DANCE WORK(旧MODERN DANCE)』第17巻、ダンス・ワーク舎、1976年7月(夏)、pp. 7-16?。 |
|
• 04.182 |
種村季弘「空の青――大駱駝艦見聞録」『DANCE WORK』第17巻、ダンス・ワーク舎、1976年7月(夏)、pp. 16-17。 |
|
• 04.183 |
松田修「大駱駝艦」『DANCE WORK』第17巻、ダンス・ワーク舎、1976年7月(夏)、pp. 18-20。 |
|
• 04.184 |
中西夏之、麿赤児(対談)「越えた時に何かが見えた…」『DANCE WORK』第17巻、ダンス・ワーク舎、1976年7月(夏)、pp. 21-26。 |
|
• 04.185 |
和田朔「試論大駱駝艦物語」『DANCE WORK』第17巻、ダンス・ワーク舎、1976年7月(夏)、pp. 27-31。 |
|
• 04.186 |
長尾一雄「芦川羊子とその房」『DANCE WORK』第17巻、ダンス・ワーク舎、1976年7月(夏)、pp. 38-45。 |
|
• 04.187 |
中村文昭「舞踏の病と死期――笠井叡舞踏公演〈月譚蛭子〉〈トリスタンとイゾルデ〉についての傍点」『DANCE WORK』第17巻、ダンス・ワーク舎、1976年7月(夏)、pp. 46-49。 |
|
• 04.188 |
山田真理「梨頭、それはこのような夜だった、ひとがた、ほか」『DANCE WORK』第17巻、ダンス・ワーク舎、1976年7月(夏)、pp. 56-59。 |
|
• 04.189 |
「舞踏に生きる 芦川羊子」『新しい女性』、吉川書房、1976年10月1日、[グラビア]。 |
|
• 04.190 |
窪田般彌「土方巽と語る 舞踏=肉体に遍在する悲しさの表象」『みづゑ』第860号、美術出版社、1976年11月、pp. 106-115。 |
|
• 04.191 |
ウィリアム・マロッティ(川水美穂子訳)「舞踏の問題性と本質主義の罠」『シアタ-ア-ツ』第8号、晩成書房、1977年、pp. 88-96。 |
|
• 04.192 |
國吉和子「追悼 市川雅先生」『シアタ-ア-ツ』川水美穂子訳第8号、晩成書房、1977年、pp. 140-142。 |
|
• 04.193 |
「土方巽・燔犠大踏鑑アスベスト」『ぴあ』臨時増刊号、ぴあ株式会社、1977年1 月(冬)、p. 19。 |
|
• 04.194 |
「グラビア〈白桃図〉、〈美人と病気〉、〈日月ボール〉、〈ゑびす屋お蝶〉、〈サイレン鮭〉、〈二品屋〉、〈バッケ先生の恋人〉、〈彼女らを起こすなかれ〉、〈小日傘〉、〈嘘つく盲目の少女〉、〈暗黒版かぐやひめ〉、〈それはこのような夜だった〉、〈梨頭〉、〈ひとがた〉、〈正面の衣裳〉、〈鯨線上の奥方〉」『DANCE WORK』第19巻、ダンス・ワーク舎、1977年1 月(冬)。 |
|
• 04.195 |
中村文昭「舞踏の病と死期II――芦川羊子の闇と光、あるいは、舞踏師の筆」『DANCE WORK』第19巻、ダンス・ワーク舎、1977年1月 (冬)、pp. 16-21。 |
|
• 04.196 |
山田真理「舞踏」『DANCE WORK』第19巻、ダンス・ワーク舎、1977年1 月(冬)、pp. 40-42。 |
|
• 04.197 |
木ノ内洋二、和田朔「北方舞踏派公演」『DANCE WORK』第19巻、ダンス・ワーク舎、1977年1 月(冬)、pp. 42-43。 |
|
• 04.198 |
「ダンス・ワーク舞踏家賞 笠井叡に決まる 選考〈市川雅〉」『DANCE WORK』第19巻、ダンス・ワーク舎、1977年1 月(冬)、pp. 21-26??。 |
|
• 04.199 |
遠丸立「舞踏する人々」『公評』、公評社、1977年3月、pp. 30-38。 |
|
• 04.200 |
土方巽「病める舞姫」『新劇』、白水社、1977年4月、pp. 97-104。 |
|
• 04.201 |
芦川羊子「私の踊った好きな役柄」『現代詩手帖』、思潮社、1977年4月、pp. 74-75。 |
|
• 04.202 |
堀内博子「感覚の糧精神の糧」『現代詩手帖』、思潮社、1977年4月、pp. 76-77。 |
|
• 04.203 |
郡司正勝「破戒のなかの婚儀」『現代詩手帖』、思潮社、1977年4月、pp. 43-47。 |
|
• 04.204 |
松田修「女たちの変身回路」『現代詩手帖』、思潮社、1977年4月、pp. 48-52。 |
|
• 04.205 |
種村季弘「機械のように 獣のように」『現代詩手帖』、思潮社、1977年4月、pp. 34-42。 |
|
• 04.206 |
長尾一雄「身振りと出会い」『現代詩手帖』、思潮社、1977年4月、pp. 82-87。 |
|
• 04.207 |
太田省吾「劇における〈身体〉の意味」『現代詩手帖』、思潮社、1977年4月、pp. 88-93。 |
|
• 04.208 |
笠井叡「日録: 昭和52年1月9日~2月25日」『現代詩手帖』、思潮社、1977年4月、pp. 64-73。 |
|
• 04.209 |
由良君美「聖霊舞踏滴定」『現代詩手帖』、思潮社、1977年4月、pp. 60-63。 |
|
• 04.210 |
合田成男「物腰の自立性」『現代詩手帖』、思潮社、1977年4月、pp. 53-59。 |
|
• 04.211 |
古沢俊美「妖精から人形へ」『現代詩手帖』、思潮社、1977年4月、pp. 78-81。 |
|
• 04.212 |
吉原幸子「〈ことば〉による試み」『現代詩手帖』、思潮社、1977年4月、pp. 104-107。 |
|
• 04.213 |
財部鳥子「見なれぬ姿形」『現代詩手帖』、思潮社、1977年4月、pp. 94-98。 |
|
• 04.214 |
白石かずこ「空間に屹立する舞踏」『現代詩手帖』、思潮社、1977年4月、pp. 99-103。 |
|
• 04.215 |
中村文昭「舞踏の病いと死期」『現代詩手帖』、思潮社、1977年4月、pp. 127-135。 |
|
• 04.216 |
土方巽、鈴木忠志、扇田昭彦「欠如としての言語=身体の仮設 舞台空間へのプロセス」『現代詩手帖』、思潮社、1977年4月、pp. 108-126。 |
|
• 04.217 |
長谷川六(編)「戦後舞踏年表」『現代詩手帖』、思潮社、1977年4月、pp. 136-144。 |
|
• 04.218 |
芦川羊子「アスベスト館公演の夢の跡」『美術手帖』、美術出版社、1977年4月、pp. 122-123。 |
|
• 04.219 |
土方巽「病める舞姫」『新劇』、白水社、1977年5月、pp. 86-95。 |
|
• 04.220 |
飯島耕一「港町 魂の皮膚の破れるところ(第2回)」『新劇』、白水社、1977年5月、pp. 96-122。 |
|
• 04.221 |
土方巽「包まれている病芯」『日本美術』、日本美術社、1977年5月、pp. 72-73。 |
|
• 04.222 |
土方巽「病める舞姫」『新劇』、白水社、1977年6月、pp. 60-67。 |
|
• 04.223 |
土方巽「病める舞姫」『新劇』、白水社、1977年7月、pp. 106-115。 |
|
• 04.224 |
鳥居良禅(写真)「[グラビア]」『新劇』、白水社、1977年8月。 |
|
• 04.225 |
池田満寿夫「オマージュ土方巽」『新劇』、白水社、1977年8月。 |
|
• 04.226 |
吉岡実「使者 笠井叡のための素描の詩」『新劇』、白水社、1977年8月。 |
|
• 04.227 |
埴谷雄高「胎内瞑想について」『新劇』、白水社、1977年8月、pp. 17-21。 |
|
• 04.228 |
瀧口修造「私記・土方巽」『新劇』、白水社、1977年8月、pp. 22-23。 |
|
• 04.229 |
松山俊太郎「再感「謎の日本人」」『新劇』、白水社、1977年8月、pp. 24-27。 |
|
• 04.230 |
唐十郎「土方巽三夜」『新劇』、白水社、1977年8月、pp. 28-31。 |
|
• 04.231 |
合田成男「手の変幻」『新劇』、白水社、1977年8月、pp. 32-35。 |
|
• 04.232 |
田中一光「砂糖菓子の回想」『新劇』、白水社、1977年8月、pp. 36-39。 |
|
• 04.233 |
東野芳明「吊るされた肉体――デュシャンと踊った土方巽」『新劇』、白水社、1977年8月、pp. 44-48。 |
|
• 04.234 |
「タウン情報 ジョイフルコミュニティ 演劇」『コミュニケ-ションジャ-ナルいしかわ』、パブリケーション四季、1977年8月、pp. 58-59。 |
|
• 04.235 |
東野芳明、高橋康也「デュシャンとルッセル」『ユリイカ』、青土社、1977年8月、pp. 72-95。 |
|
• 04.236 |
林立人「少女期を楽しむ肉感――小林嵯峨舞踏公演〈にがい光〉」『現代詩手帖』、思潮社、1977年9月、pp. 206-207。 |
|
• 04.237 |
衛紀生「蟻の穴の少年のように」『新劇』、白水社、1977年9月、pp. 26-27。 |
|
• 04.238 |
「過熱した舞踏の時代は…」『新劇』、白水社、1977年9月、pp. 28-31。 |
|
• 04.239 |
土方巽「病める舞姫」『新劇』、白水社、1977年9月、pp. 98-109。 |
|
• 04.240 |
勝川春章「竹林七妍図」『アサヒグラフ』、朝日新聞社、1977年9月5日。 |
|
• 04.241 |
土方巽「病める舞姫」『新劇』、白水社、1977年10月、pp. 90-103。 |
|
• 04.242 |
小林嵯峨「初日(写真)」『新劇』、白水社、1977年10月。 |
|
• 04.243 |
松岡正剛「あなたは見えない光景に感動できますか? 意識なき科学は魂の廃墟である」『遊』、工作舎、1977年10月。 |
|
• 04.244 |
土方巽「病める舞姫」『新劇』、白水社、1977年12月、pp. 100-113。 |
|
• 04.245 |
土方巽「病める舞姫」『新劇』、白水社、1978年1月、pp. 102-114。 |
|
• 04.246 |
白石かずこ「舞踏家土方巽 森羅万象を感じとる極意」『美術手帖』、芸術生活社、1978年1月、pp. 48-52。 |
|
• 04.247 |
八木忠栄「ガニ股について――土方巽寸感 舞踏の民話的風土」『創作舞踏』、創作舞踏社、1978年1月(冬)、pp. 20-21。 |
|
• 04.248 |
土方巽「匂いの抜けた花から」『流行通信』、流行通信社、1978年2月、pp. 38-39。 |
|
• 04.249 |
土方巽「病める舞姫」『新劇』、白水社、1978年3月、pp. 94-108。 |
|
• 04.250 |
中村文昭、武内靖彦「酩酊対談 その1 桜酒」『酩酊船 DANCING』第3号(暖期)、極私空間工房・酩酊船編集室、1978年8月、pp. 30-39。 |
|
• 04.251 |
磯崎新、武満徹「パリに開く「日本展」そのII 「日本展」の構想を語る」『芸術新潮』、新潮社、1978年9月、pp. 29-36。 |
|
• 04.252 |
笠井叡「肉体空間のメタモルフォーゼ」『新劇』、白水社、1978年10月、pp. 84-92。 |
|
• 04.253 |
芦川羊子「ルーブル宮のための十四晩 パリ〈日本展〉での暗黒舞踏」『新劇』、白水社、1978年12月、pp. 96-101。 |
|
• 04.254 |
及川廣信「その肉体性の奪還」『肉体言語』第9号、肉体言語舎、1979年3月、pp. 57-67。 |
|
• 04.255 |
國吉和子「舞踊・舞踏公演年譜 '49-'79」『肉体言語』第9号、肉体言語舎、1979年3月、pp. 68-83。 |
|
• 04.256 |
「舞踏派〈背火〉室伏鴻リサイタル「木乃伊」」『新劇』、白水社、1980年7月、p. 6。 |
|
• 04.257 |
木ノ内洋二「余がまさなに古りし銀鈴――北方舞踏派公演「余がむざねに零りし銀鈴」を見て」『新劇』、白水社、1980年8月、pp74-75。 |
|
• 04.258 |
髙井富子「出逢い」『吟遊星』第11号(加藤郁乎特例号)、吟遊星団、1980年8月15日、pp. 69-71。 |
|
• 04.259 |
種村季弘「鳥飼いのいる鳥籠――吉岡さんの部屋」『現代詩手帖』、思潮社、1980年10月、pp. 63-65。 |
|
• 04.260 |
麿赤児「闇を食う虫」『新劇』、白水社、1981年1月、pp. 14-19。 |
|
• 04.261 |
石井満隆、川仁宏「踊るを語る」『美術手帖』、美術出版社、1981年5月、pp. 124-141。 |
|
• 04.262 |
寺山修司、白石かずこ「当世人形黙示録」『美術手帖』、美術出版社、1981年7月、pp. 78-97。 |
|
• 04.263 |
唐十郎「お隣さんの中にあなたがいて」『新劇』、白水社、1982年2月、pp. 30-33。 |
|
• 04.264 |
渡辺弘「市街肉弾戦を開始する麿赤児と大駱駝艦」『新劇』、白水社、1982年5月、pp. 38-39。 |
|
• 04.265 |
市川雅「ポスト・モダン・ダンスと舞踏」『テアトロ』第479号、テアトロ、1983年1月、pp. 90-94。 |
|
• 04.266 |
「土方巽、始動再開?」『EOS』第2号、ペヨトル工房、1983年1月20日、p. 80。 |
|
• 04.267 |
「さあ教祖サマが久々のお出ましだ 駿河台にビールを飲みに行こう 土方巽『病める舞姫』出版記念パーティー」『アサヒグラフ』、朝日新聞社、1983年4月29日、p. 105。 |
|
• 04.268 |
萩原葉子「暗黒舞踏に思う」『月刊現代』、講談社、1983年5月、pp. 450-451。 |
|
• 04.269 |
芦川羊子「茶箱の蓋を開ける」『新劇 』、白水社、1983年5月。 |
|
• 04.270 |
「暗黒舞踏派七年ぶりの再始動」『週刊文春』第25巻、第20号、文藝春秋、1983年5月19日。 |
|
• 04.271 |
宇野邦一「ある帰還ある出発」『群像 』、講談社、1983年6月、pp. 400-404。 |
|
• 04.272 |
山口猛「風を袂に飼って走る又三郎」『美術手帖』、美術出版社、1983年7月、pp. 230-231。 |
|
• 04.273 |
國吉和子「生きる形は急がれる――土方巽再編策「景色へ一瓲の髪型」」『美術手帖』、美術出版社、1983年7月、pp. 232-233。 |
|
• 04.274 |
郡司正勝「〈伸びる〉と〈屈む〉と」『夜想』第9号(暗黒舞踏)、ペヨトル工房、1983年7月20日、pp. 58-61。 |
|
• 04.275 |
深瀬昌久「闇の命脈」『夜想』第9号(暗黒舞踏)巻、ペヨトル工房、1983年7月20月、pp. 62-69。 |
|
• 04.276 |
「暗黒舞踏への鎮魂歌」『夜想』第9号(暗黒舞踏)、ペヨトル工房、1983年7月20日、pp. 70-87。 |
|
• 04.277 |
「土方巽、Tatsumi Hijikata、アスベスト館」『夜想』第9号(暗黒舞踏)、ペヨトル工房、1983年7月20日、pp. 48-57。 |
|
• 04.278 |
山本政一「土方巽」『現代劇〈旬劇〉』増刊号、中央出版企画、1983年9月(秋)、pp. 33-34。 |
|
• 04.279 |
長尾一雄、山本政一「小劇場演技の技術(長尾)、土方巽(山本)」『現代劇〈旬劇〉』増刊号、中央出版企画、1983年10月(秋)、pp. 5-7, pp. 33-34。 |
|
• 04.280 |
市川雅「芦川羊子、土方巽作品をヨーロッパで踊る」『新劇』、白水社、1983年11月、pp. 101-103。 |
|
• 04.281 |
市川雅「舞姫の四つの性質」『ユリイカ』第15巻、第11号、青土社、1983年11月、pp. 59-65。 |
|
• 04.282 |
宇野邦一「舞踏、奇妙なポトラッチ」『ユリイカ』第15巻、第11号、青土社、1983年11月、pp. 72-81。 |
|
• 04.283 |
萩野崇一郎「dance: ヨーロッパの認識検証――暗黒舞踏派公演の反応」『美術手帖』、美術出版社、1983年11月、pp. 262-263。 |
|
• 04.284 |
郡司正勝、渡辺守章「舞踊は何を表現するのか」『ユリイカ』第15巻、第11号、青土社、1983年11月、pp. 100-119。 |
|
• 04.285 |
中村文昭「舞踏の病と死期」『ユリイカ』第15巻、第11号、青土社、1983年11月、pp. 152-160。 |
|
• 04.286 |
武邑光裕「秘儀としての身体、あるいは舞踏」『ユリイカ』第15巻、第11号、青土社、1983年11月、pp. 185-191。 |
|
• 04.287 |
國吉和子「アルシーヴ、二〇年」『ユリイカ』、青土社、1983年12月、pp. 127-133。 |
|
• 04.288 |
「〈暗黒舞踏〉、〈60年代が舞踏を生み出したのではない。時代が肉体にすり寄ってきたのだ〉(土方巽談)」『たて組ヨコ組』第6号、モリサワ、1984年10月20日(秋)。 |
|
• 04.289 |
ヨネヤマ・ママコ、吉原幸子「ラ・メール対談 創る・生きる女たち6 空飛ぶ更年期少女」『ラ・メ-ル 』、思潮社、1984年10月(秋)、pp. 128-141。 |
|
• 04.290 |
古澤栲「舞踏の現在 鋲とぼうふら」『現代劇』第3号、中央出版企画、1984年11月、pp. 18-27。 |
|
• 04.291 |
中村文昭「舞踏は文学である? 舞踏フェスティバル85によせて」『ユリイカ』、青土社、1985年2月、pp. 248-251。 |
|
• 04.292 |
ぴあ取材班「BUTOHから舞踏へ」『ぴあ』第233号、ぴあ株式会社、1985年2月8日、p. 14。 |
|
• 04.293 |
麿赤児、田中泯、松岡正剛「座談会、舞踏のココロとカタチを語る」『朝日ジャ-ナル』、朝日新聞社、1985年2月22日、pp. 94-100。 |
|
• 04.294 |
中村文昭「舞踏懺悔録集成 Butoh Festival '85」『音楽芸術』、音楽之友社、1985年4月。 |
|
• 04.295 |
大笹吉雄「日本現代演劇史」『新劇』、白水社、1985年4月、pp. 88-102。 |
|
• 04.296 |
「土方巽によるワークショップ、アスベスト館舞踏講座」『新劇』、白水社、1985年4月、p. 49。 |
|
• 04.297 |
山口昌男「開かれた身体性へ」『現代詩手帖』、思潮社、1985年5月、pp. 77-85。 |
|
• 04.298 |
郡司正勝「舞踏と禁忌」『現代詩手帖』、思潮社、1985年5月、pp. 86-89。 |
|
• 04.299 |
田中泯「連続感覚」『現代詩手帖』、思潮社、1985年5月、p. 90。 |
|
• 04.300 |
麿赤児「偽りの蜜月が極まると」『現代詩手帖』、思潮社、1985年5月、pp. 90-91。 |
|
• 04.301 |
中嶋夏「揺れ、揺らぎ、揺られる」『現代詩手帖』、思潮社、1985年5月、pp. 91-92。 |
|
• 04.302 |
大須賀勇「伝染するメディアとしてのからだ」『現代詩手帖』、思潮社、1985年5月、pp. 92-93。 |
|
• 04.303 |
五井輝「記憶のあかぎれ」『現代詩手帖』、思潮社、1985年5月、pp. 93-94。 |
|
• 04.304 |
合田成男「舞踏の動詞12」『現代詩手帖』、思潮社、1985年5月、pp. 95-103。 |
|
• 04.305 |
高橋康也「舞踏会の季節」『現代詩手帖』、思潮社、1985年5月、pp. 104-106。 |
|
• 04.306 |
竹田賢一「用済みとなった肉体と身体の離歌」『現代詩手帖』、思潮社、1985年5月、pp. 106-108。 |
|
• 04.307 |
四方田犬彦「遅延の恍惚」『現代詩手帖』、思潮社、1985年5月、pp. 109-110。 |
|
• 04.308 |
與謝野文子「共犯者の春」『現代詩手帖』、思潮社、1985年5月、pp. 111-112。 |
|
• 04.309 |
中村文昭「漂白する光の闇とちぢむ闇――肉体の表層と深層」『現代詩手帖』、思潮社、1985年5月、pp. 113-117。 |
|
• 04.310 |
小林康夫「舞踏とその分身」『現代詩手帖』、思潮社、1985年5月、pp. 118-127。 |
|
• 04.311 |
宇野邦一「なぜ、残酷劇か?」『現代詩手帖』、思潮社、1985年5月、pp. 128-131。 |
|
• 04.312 |
今野裕一「復活の舞台のために予め用意された序章」『現代詩手帖』、思潮社、1985年5月、pp. 133-137。 |
|
• 04.313 |
「〈死海〉の水」『現代詩手帖』、思潮社、1985年5月、pp. 53-68。 |
|
• 04.314 |
「風だるま」『現代詩手帖』、思潮社、1985年5月、pp. 70-76。 |
|
• 04.315 |
中村文昭「総括・舞踏フェスティバル'85」『新劇』、白水社、1985年5月、pp. 48-52。 |
|
• 04.316 |
河原崎秀之「あなたはもうBUTOHを見たか 芸術か異端か 欧米でブームの新パフォーマンスをカタログする」『PENTHOUSE 日本版』、講談社、1985年6月、pp. 12-19。 |
|
• 04.317 |
及川広信、川仁宏、ガリバー、竹田賢一、ヒグマ春夫、石井満隆、小林進、鴻英良「シンポジウムII パフォーマンスの方法」『肉体言語』第12巻、肉体言語舎、1985年6月、pp. 60-82。 |
|
• 04.318 |
「PERFORMANCE GALARY1石井満隆」『肉体言語』第12巻、肉体言語舎、1985年6月、pp. 155-157。 |
|
• 04.319 |
芦田献之「大野一雄試論III」『肉体言語』第12巻、肉体言語舎、1985年6月、pp. 192-200。 |
|
• 04.320 |
会田健一郎「PERFORMANCE GALARY2大野一雄」『肉体言語』第12巻、肉体言語舎、1985年6月、pp. 201-203。 |
|
• 04.321 |
土方巽「白虎社 異形の変容」『太陽 』、平凡社、1985年7月、pp. 128-131。 |
|
• 04.322 |
「極端な豪奢・土方巽氏インタビュー 」『W-Notation(ダブル・ノ-テ-ション)』第2号、ユー・ピー・ユー、1985年7月、pp. 2-27。 |
|
• 04.323 |
宇野邦一、室伏鴻「土方巽のディメンション」『W-Notation(ダブル・ノ-テ-ション)』第2号、ユー・ピー・ユー、1985年7月、pp. 28-70。 |
|
• 04.324 |
丹生谷貴志「Grand Wazoo」『W-Notation(ダブル・ノ-テ-ション)』第2号、ユー・ピー・ユー、1985年7月、pp. 71-85。 |
|
• 04.325 |
合田成男「1959年5月24日土方巽が疾走を開始した日」『W-Notation(ダブル・ノ-テ-ション)』第2号、ユー・ピー・ユー、1985年7月、pp. 86-99。 |
|
• 04.326 |
土方巽「犬の静脈に嫉妬することから」『W-Notation(ダブル・ノ-テ-ション)』第2号、ユー・ピー・ユー、1985年7月、pp. 100-121。 |
|
• 04.327 |
吉岡実「戦後日本の一大天才」『W-Notation(ダブル・ノ-テ-ション)』第2号、ユー・ピー・ユー、1985年7月、pp. 71-72。 |
|
• 04.328 |
萩原葉子「内容を訴える踊り」『W-Notation(ダブル・ノ-テ-ション)』第2号、ユー・ピー・ユー、1985年7月、pp. 72-73。 |
|
• 04.329 |
埴谷雄高「「動と静のリズム」より」『W-Notation(ダブル・ノ-テ-ション)』第2号、ユー・ピー・ユー、1985年7月、pp. 74-81。 |
|
• 04.330 |
赤瀬川原平「割れたガラスのきわどさ」『W-Notation(ダブル・ノ-テ-ション)』第2号、ユー・ピー・ユー、1985年7月、pp. 82-83。 |
|
• 04.331 |
松枝到「遠いところで共闘したい」『W-Notation(ダブル・ノ-テ-ション)』第2号、ユー・ピー・ユー、1985年7月、pp. 84-85。 |
|
• 04.332 |
日向あき子「現代のシャーマン」『W-Notation(ダブル・ノ-テ-ション)』第2号、ユー・ピー・ユー、1985年7月、pp. 85-87。 |
|
• 04.333 |
磯崎新「場面――土方巽の、」『W-Notation(ダブル・ノ-テ-ション)』第2号、ユー・ピー・ユー、1985年7月、pp. 87-89。 |
|
• 04.334 |
西谷修「舞踏することばの群れ」『W-Notation(ダブル・ノ-テ-ション)』第2号、ユー・ピー・ユー、1985年7月、pp. 89-92。 |
|
• 04.335 |
出口裕弘「「時」に逆らう」『W-Notation(ダブル・ノ-テ-ション)』第2号、ユー・ピー・ユー、1985年7月、pp. 92-99。 |
|
• 04.336 |
「つらるゝ舞姫舞踏芦川羊子」『緑字生ズ』第5号巻、直江屋、1985年12月31日。 |
|
• 04.337 |
「東北歌舞伎計画 舞踏譜(詩)」『遊行』、テオリア、1986年1月、pp. 116-124。 |
|
• 04.338 |
市川雅「BUTOH」『朝日ジャ-ナル』、朝日新聞社、1986年2月7日、p. 34。 |
|
• 04.339 |
「ホトケになった“肉体芸術”の神様」『アサヒグラフ』、朝日新聞社、1986年2月7日。 |
|
• 04.340 |
「BUTOH〈暗黒舞踏〉の父・土方巽氏の死はあまりにも早すぎた」『アサヒグラフ』、朝日新聞社、1986年2月7日。 |
|
• 04.341 |
「「暗黒舞踏」創始者の死――土方巽における俗と反俗」『フォ-カス』、新潮社、1986年2月7日、pp. 48-49。 |
|
• 04.342 |
「これが“暗黒舞踏”土方巽の舞台姿だ」『週刊読売』、読売新聞社、1986年2月9日。 |
|
• 04.343 |
ぴあ取材班「舞踏とは突っ立った死体だ」『ぴあ』第260号、ぴあ株式会社、1986年2月21日、pp. 12-13。 |
|
• 04.344 |
澁澤龍彦「さようなら土方巽」『新劇』、白水社、1986年3月、pp. 30-31。 |
|
• 04.345 |
唐十郎「弔文」『新劇』、白水社、1986年3月、pp. 32-33。 |
|
• 04.346 |
麿赤児「死を悼む」『新劇』、白水社、1986年3月、pp. 34-35。 |
|
• 04.347 |
赤瀬川原平「アスベスト館をめぐる」『新劇』、白水社、1986年3月、pp. 36-38。 |
|
• 04.348 |
佐藤信「言葉がすくむ」『新劇』、白水社、1986年3月、pp. 39-41。 |
|
• 04.349 |
編集部「土方巽作品略年譜」『新劇』、白水社、1986年3月、pp. 42-44。 |
|
• 04.350 |
吉岡実「祇園祭見物」『ユリイカ』、青土社、1986年3月、pp. 52-55。 |
|
• 04.351 |
種村季弘「笑って逃げる風 -今いる土方巽へ-」『ユリイカ』、青土社、1986年3月、pp. 56-59。 |
|
• 04.352 |
宇野邦一「死と舞踏家」『ユリイカ』、青土社、1986年3月、pp. 59-61。 |
|
• 04.353 |
麿赤児「土方巽という人間伽藍が〈死〉を…」『HOLIC』第6号、少年社、1986年3月、pp. 69-70。 |
|
• 04.354 |
飯島耕一「ひんしのレッスン」『現代詩手帖』、思潮社、1986年3月、pp. 24-25。 |
|
• 04.355 |
吉岡実「風神のごとく」『現代詩手帖』、思潮社、1986年3月。 |
|
• 04.356 |
三好豊一郎「土方巽を悼む」『現代詩手帖』、思潮社、1986年3月。 |
|
• 04.357 |
唐十郎「土方巽に添って聞いた三つの足音」『現代詩手帖』、思潮社、1986年3月。 |
|
• 04.358 |
中西夏之「土方巽との終わりなき対話」『現代詩手帖』、思潮社、1986年3月。 |
|
• 04.359 |
天沢退二郎「〈土方巽〉への…」『現代詩手帖』、思潮社、1986年3月。 |
|
• 04.360 |
巖谷國士「追悼」『現代詩手帖』、思潮社、1986年3月。 |
|
• 04.361 |
市川雅「〈犬の静脈に嫉妬することから〉を読む」『現代詩手帖』、思潮社、1986年3月。 |
|
• 04.362 |
飯島耕一「瀕死の白鳥 土方巽のこと」『文学界 』、文芸春秋、1986年3月、pp. 12-13。 |
|
• 04.363 |
遠丸立「舞踏の世界地図’85年秋」『公評』、公評社、1986年4月、pp. 59-64。 |
|
• 04.364 |
古沢俊美「舞踏の祖・土方巽の死」『THE GOLD』、ザ・ゴールド編集部、1986年4月。 |
|
• 04.365 |
尾辻克彦「舞踏神」『新潮 』、新潮社、1986年4月。 |
|
• 04.366 |
市川雅「肉体の物質性、物質の肉体性」『美術手帖』、美術出版社、1986年5月、pp. 26-51。 |
|
• 04.367 |
中西夏之「手当と復習・舞踏の足の裏+解題」『美術手帖』、美術出版社、1986年5月、pp. 63-72。 |
|
• 04.368 |
谷川晃一「豚とキリスト」『美術手帖』、美術出版社、1986年5月、pp. 52-53。 |
|
• 04.369 |
中村宏「一閃記」『美術手帖』、美術出版社、1986年5月、pp. 53-54。 |
|
• 04.370 |
田中一光「前衛とアンチ・モラル」『美術手帖』、美術出版社、1986年5月、pp. 54-55。 |
|
• 04.371 |
横尾忠則「突然変異のポスター」『美術手帖』、美術出版社、1986年5月、pp. 55-56。 |
|
• 04.372 |
吉村益信「ハイレヴェルなスペクトル」『美術手帖』、美術出版社、1986年5月、pp. 56-57。 |
|
• 04.373 |
赤瀬川原平「敏感なアンテナ」『美術手帖』、美術出版社、1986年5月、p. 57。 |
|
• 04.374 |
水谷勇夫「二つの提言・舞台の骨子」『美術手帖』、美術出版社、1986年5月、pp. 58-59。 |
|
• 04.375 |
清水晃「稲妻の人」『美術手帖』、美術出版社、1986年5月、p. 60。 |
|
• 04.376 |
野中ユリ「それらは〈美術〉と呼ばれなかった」『美術手帖』、美術出版社、1986年5月、pp. 60-61。 |
|
• 04.377 |
羽永光利「天井の怒号」『美術手帖』、美術出版社、1986年5月、pp. 62-63。 |
|
• 04.378 |
池田満寿夫「巽昇天」『美術手帖』、美術出版社、1986年5月、pp. 73-74。 |
|
• 04.379 |
細江英公「触発しあう写真と肉体」『美術手帖』、美術出版社、1986年5月、pp. 74-75。 |
|
• 04.380 |
池田龍雄「この不可思議の人」『美術手帖』、美術出版社、1986年5月、pp. 75-76。 |
|
• 04.381 |
篠原佳尾「星の流れのもとでリラ一輪を手向けたい」『美術手帖』、美術出版社、1986年5月、pp. 76-77。 |
|
• 04.382 |
國吉和子「年譜」『美術手帖』、美術出版社、1986年5月。 |
|
• 04.383 |
吉岡実「聖あんま断腸詩篇」『新潮』、新潮社、1986年6月、pp. 220-230。 |
|
• 04.384 |
谷川晃一「BUTOH」『朝日ジャ-ナル』、朝日新聞社、1986年7月18月、p. 35。 |
|
• 04.385 |
副島輝人「慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる――土方巽舞踏譜」『あんさんぶる』、カワイ音楽教育研究会本部、1986年8月、p. 11。 |
|
• 04.386 |
合田成男「抽象性と叙情性への回帰 土方巽を凍結し、大野一雄、笠井叡を駆逐せよ」『江古田文学』第10号、江古田文学会、1986年8月20日(夏)。 |
|
• 04.387 |
中村文昭「批評とふがいない舞踏状況 先人には考える必要もなかった自己矛盾を背負う」『江古田文学』第10号参照: 新聞記事J 227、江古田文学会、1986年8月20日(夏)。 |
|
• 04.388 |
合田成男「素裸な“当事者”の闘い」『江古田文学』第10号、江古田文学会、1986年8月20日(夏)。 |
|
• 04.389 |
中村文昭「《継承》――見果てぬ夢 その具体案を再度問う」『江古田文学』第10号、江古田文学会、1986年8月20日(夏)。 |
|
• 04.390 |
合田成男「敢えていえば、ロマンチズム」『江古田文学』第10号、江古田文学会、1986年8月20日(夏)。 |
|
• 04.391 |
中村文昭「舞踏の時代 舞踏主義の時代 舞踏主義的傾向の時代」『江古田文学』第10号、江古田文学会、1986年8月20日(夏)。 |
|
• 04.392 |
合田成男「美術に従属する道具=肉体 再び三たび「無害の山海塾」」『江古田文学』第10号、江古田文学会、1986年8月20日(夏)。 |
|
• 04.393 |
中村文昭「「舞踏」の妖しき私設応援団長よ!」『江古田文学』第10号、江古田文学会、1986年8月20日(夏)。 |
|
• 04.394 |
合田成男「“‘手数’と肉体の暗黒”」『江古田文学』第10号、江古田文学会、1986年8月20日(夏)。 |
|
• 04.395 |
合田成男、中村文昭、市川雅、木幡和枝「舞踏は“世界”を演出できるか」『江古田文学』第10号、江古田文学会、1986年8月20日(夏)。 |
|
• 04.396 |
中村文昭「捏造サレタ生活ガ日常ヲ超克ス」『江古田文学』第10号、江古田文学会、1986年8月20日(夏)。 |
|
• 04.397 |
合田成男「捏造サレルコトノナイ記憶」『江古田文学』第10号、江古田文学会、1986年8月20日(夏)。 |
|
• 04.398 |
中村文昭「力点は〈力〉、飛ぶこと、掛け値なしで」『江古田文学』第10号、江古田文学会、1986年8月20日(夏)。 |
|
• 04.399 |
合田成男「記憶の周辺」『江古田文学』第10号、江古田文学会、1986年8月20日(夏)。 |
|
• 04.400 |
中村文昭「人間は奇妙な神である」『江古田文学』第10号、江古田文学会、1986年8月20日(夏)。 |
|
• 04.401 |
合田成男「肉体のなかの動かし難い座標」『江古田文学』第10号、江古田文学会、1986年8月20日(夏)。 |
|
• 04.402 |
中村文昭「感銘 感動 戦慄」『江古田文学』第10号、江古田文学会、1986年8月20日(夏)。 |
|
• 04.403 |
合田成男「暗黒舞踏の構造」『江古田文学』第10号、江古田文学会、1986年8月20日(夏)。 |
|
• 04.404 |
中村文昭「「物質にまで成長せよ雪の人」」『江古田文学』第10号、江古田文学会、1986年8月20日(夏)。 |
|
• 04.405 |
合田成男「一時の混迷から抜け出しそうな気配がある」『江古田文学』第10号、江古田文学会、1986年8月20日(夏)。 |
|
• 04.406 |
中村文昭「捏造せよ! 破壊を、死を、過去を、現実を、神を、肉体を、精神を、時代は悪くなるばかりだ」『江古田文学』第10号、江古田文学会、1986年8月20日(夏)。 |
|
• 04.407 |
合田成男「“‘自己確認’としての舞踏――状況論への発展”」『江古田文学』第10号、江古田文学会、1986年8月20日(夏)。 |
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• 04.408 |
中村文昭「物質まであと何歩」『江古田文学』第10号、江古田文学会、1986年8月20日(夏)。 |
|
• 04.409 |
合田成男「燔犠大踏鑑――土方巽を語る」『江古田文学』第10号、江古田文学会、1986年8月20日(夏)。 |
|
• 04.410 |
土方巽「ある場所にある卵ほど…」『ユリイカ』、青土社、1986年9月、pp. 73-75。 |
|
• 04.411 |
長谷川六「1986年ダンスワーク賞特別賞 土方巽」『DANCE WORK 』第37号(舞踏論輯 叢書 舞踏的イデアのひとつぶの種1)、ダンス・ワーク舎、1986年10月。 |
|
• 04.412 |
吉野章郎『アスベスト館通信』第1号、アスベスト館、1986年10月15日、[グラビア]。 |
|
• 04.413 |
埴谷雄高「土方巽のこと」『アスベスト館通信』第1号、アスベスト館、1986年10月15日、pp. 2-7。 |
|
• 04.414 |
永田耕衣「追弔 土方巽」『アスベスト館通信』第1号、アスベスト館、1986年10月15日、pp. 8-13。 |
|
• 04.415 |
吉田文憲「失踪」『アスベスト館通信』第1号、アスベスト館、1986年10月15日、pp. 14-19。 |
|
• 04.416 |
種村季弘「海の近くの土方さん」『アスベスト館通信』第1号、アスベスト館、1986年10月15日、pp. 20-25。 |
|
• 04.417 |
元藤燁子「土方巽とともに / 目をそむけないで 別れの時を」『アスベスト館通信』第1号、アスベスト館、1986年10月15日、pp. 26-36。 |
|
• 04.418 |
「アスベスト館より」『アスベスト館通信』第1号、アスベスト館、1986年10月15日、pp. 37-39。 |
|
• 04.419 |
元藤燁子「編集後記」『アスベスト館通信』第1号、アスベスト館、1986年10月15日、p. 40。 |
|
• 04.420 |
「舞踏情報誌の創刊」『出版ニュ-ス』、出版ニュース社、1986年12月、pp. 26-27。 |
|
• 04.421 |
國吉和子「行く年、逝った人」『朝日ジャ-ナル』、朝日新聞社、1986年12月26月、pp. 30-31。 |
|
• 04.422 |
細江英公『アスベスト館通信』第2号、アスベスト館、1987年1月15日、[グラビア]。 |
|
• 04.423 |
水谷勇夫「土方巽の死 冥府へゆく糸をたぐって」『アスベスト館通信』第2号、アスベスト館、1987年1月15日、pp. 2-9。 |
|
• 04.424 |
細江英公「土方巽を語る 巷談記録」『アスベスト館通信』第2号、アスベスト館、1987年1月15日、pp. 10-27。 |
|
• 04.425 |
合田成男「“土方巽”作品ノート1」『アスベスト館通信』第2号、アスベスト館、1987年1月15日、pp. 28-35。 |
|
• 04.426 |
元藤燁子「土方巽とともに2昭和の子供」『アスベスト館通信』第2号、アスベスト館、1987年1月15日、pp. 36-48。 |
|
• 04.427 |
「アスベスト館より」『アスベスト館通信』第2号、アスベスト館、1987年1月15日、pp. 49-51。 |
|
• 04.428 |
元藤燁子「編集後記」『アスベスト館通信』第2号、アスベスト館、1987年1月15日、p. 52。 |
|
• 04.429 |
「何となく「撮りましょう」で残った土方巽のこの一枚“暗黒舞踏の祖”逝って一年、これも芸術表現 / “暗黒舞踏”の祖・土方巽の素顔と細江英公氏が」『週刊読売』、読売新聞社、1987年2月08日。 |
|
• 04.430 |
「前衛舞踏つきパフォーマンス写真展」『週刊アサヒ芸能』、徳間書店、1987年2月12日。 |
|
• 04.431 |
「身体論の写真集」『BRUTUS』、マガジンハウス、1987年2月15日、p. 122。 |
|
• 04.432 |
(赤)「美貌の青空」『朝日ジャ-ナル』、朝日新聞社、1987年3月20日、p. 78。 |
|
• 04.433 |
木村幸治「屹立した肉体で“うさん臭く、うしろ暗く”時代を駆け抜けた男――土方巽」『DIAMOND BOX』、ダイヤモンド社、1987年4月、p. 59。 |
|
• 04.434 |
「〈土方巽舞踏写真集――危機に立つ肉体〉」『W JAPAN(ダブリュ- ジャパン)』、ウーマンズ・ウェア・デイリー・ジャパン出版株式会社、1987年4月。 |
|
• 04.435 |
芦川羊子「火気厳禁体として――土方巽による東北歌舞伎計画」『現代詩手帖』、思潮社、1987年4月、pp. 69-76。 |
|
• 04.436 |
関根薫『アスベスト館通信』第3号、アスベスト館、1987年4月30日、[グラビア]。 |
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• 04.437 |
三好豊一郎「舞踏の表情」『アスベスト館通信』第3号、アスベスト館、1987年4月30日、pp. 2-8。 |
|
• 04.438 |
清水晃「髪と雪」『アスベスト館通信』第3号、アスベスト館、1987年4月30日、pp. 9-16。 |
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• 04.439 |
中村文昭「物質まであと何歩?」『アスベスト館通信』第3号、アスベスト館、1987年4月30日、pp. 17-22。 |
|
• 04.440 |
森茉莉「土方巽を見た時の印象」『アスベスト館通信』第3号、アスベスト館、1987年4月30日、pp. 23-27。 |
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• 04.441 |
大野慶人「なつかしい風」『アスベスト館通信』第3号、アスベスト館、1987年4月30日、pp. 28-30。 |
|
• 04.442 |
副島輝人「吹雪のなかで――憶う」『アスベスト館通信』第3号、アスベスト館、1987年4月30日、pp. 31-34。 |
|
• 04.443 |
元藤燁子「土方巽とともに3アスベスト館の誕生」『アスベスト館通信』第3号、アスベスト館、1987年4月30日、pp. 35-46。 |
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• 04.444 |
「アスベスト館より」『アスベスト館通信』第3号、アスベスト館、1987年4月30日、pp. 47-51。 |
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• 04.445 |
元藤燁子「編集後記」『アスベスト館通信』第3号、アスベスト館、1987年4月30日、p. 52。 |
|
• 04.446 |
「『美貌の青空』土方巽」『季刊銀花』、文化出版局、1987年4月(春)、p. 188。 |
|
• 04.447 |
「dance: 土方巽遺稿集〈美貌の青空〉」『美術手帖』、美術出版社、1987年5月、p. 221。 |
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• 04.448 |
松本小四郎「肉体と批評のアヴァンギャルド 土方巽の死」『現代思想』、1987年5月、pp. 282-288。 |
|
• 04.449 |
「小川紳介インタビュー『1000年刻みの日時計――牧野村物語』」『イメ-ジフォ-ラム』、ダゲレオ出版、1987年6月、pp. 56-67。 |
|
• 04.450 |
「舞踏神は語る(大野一雄インタビュー)」『現代詩手帖』、思潮社、1987年6月、pp. 49-54。 |
|
• 04.451 |
「会合催物、土方巽舞踏作品フィルム上映会〈疱瘡譚〉」『現代詩手帖』、思潮社、1987年7月。 |
|
• 04.452 |
飯島耕一「虹の喜劇IV地霊の音楽」『現代詩手帖』、思潮社、1987年7月、pp. 38-44。 |
|
• 04.453 |
『アスベスト館通信』第4号、アスベスト館、1987年7月20日、[グラビア]。 |
|
• 04.454 |
奥野健男「演劇関係の暗黒プロモーター」『アスベスト館通信』第4号、アスベスト館、1987年7月20日、pp. 2-5。 |
|
• 04.455 |
日向あき子「ある時、O軒で。」『アスベスト館通信』第4号、アスベスト館、1987年7月20日、pp. 6-11。 |
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• 04.456 |
八木忠栄「『東北歌舞伎計画』公演のこと」『アスベスト館通信』第4号、アスベスト館、1987年7月20日、pp. 12-19。 |
|
• 04.457 |
Mark Holorn「from: Tatsumi Hijikata and the Origins of Butoh」『アスベスト館通信』第4号、アスベスト館、1987年7月20日、pp. 20-28。 |
|
• 04.458 |
池宮信夫「ジャズダンサー土方巽」『アスベスト館通信』第4号、アスベスト館、1987年7月20日、pp. 29-33。 |
|
• 04.459 |
風倉匠「拝啓 土方巽様」『アスベスト館通信』第4号、アスベスト館、1987年7月20日、pp. 34-37。 |
|
• 04.460 |
元藤燁子「土方巽とともに4水たまりの水鏡」『アスベスト館通信』第4号、アスベスト館、1987年7月20日、pp. 38-49。 |
|
• 04.461 |
「アスベスト館支部便り」『アスベスト館通信』第4号、アスベスト館、1987年7月20日、pp. 50-52。 |
|
• 04.462 |
「アスベスト館より」『アスベスト館通信』第4号、アスベスト館、1987年7月20日、pp. 53-55。 |
|
• 04.463 |
元藤燁子「編集後記」『アスベスト館通信』第4号、アスベスト館、1987年7月20日、p. 56。 |
|
• 04.464 |
「会合催物・土方巽舞踏作品フィルム=疱瘡譚」『現代詩手帖』、思潮社、1987年8月、p. 164。 |
|
• 04.465 |
玉ねぎかつひさ「土方巽の野辺送り」『朝日ジャ-ナル』、朝日新聞社、1987年8月28月、pp. 38-?。 |
|
• 04.466 |
国吉和子「BUTOH」『朝日ジャ-ナル』、朝日新聞社、1987年8月28日、p. 29。 |
|
• 04.467 |
鶴岡善久「土方巽の舞踏と言語」『三田文学』、三田文学会、1987年8(夏)月、pp. 172-177。 |
|
• 04.468 |
細江英公「『美貌の青空』」『文藝春秋』、文藝春秋、1987年9月、pp. 368-369。 |
|
• 04.469 |
飯島耕一「虹の喜劇IVモンドリアンのseaをみるまで――澁澤龍彦への奇妙な友情」『現代詩手帖』、思潮社、1987年10月、pp. 14-19。 |
|
• 04.470 |
細江英公『アスベスト館通信』第5号、アスベスト館、1987年10月30日、[グラビア]。 |
|
• 04.471 |
黛敏郎「土方巽氏の想い出」『アスベスト館通信』第5号、アスベスト館、1987年10月30日、pp. 2-5。 |
|
• 04.472 |
高橋睦郎「永遠に姉なるもの 土方巽への手紙」『アスベスト館通信』第5号、アスベスト館、1987年10月30日、pp. 6-13。 |
|
• 04.473 |
澁沢龍彦「土方巽との初対面」『アスベスト館通信』第5号、アスベスト館、1987年10月30日、pp. 14-15。 |
|
• 04.474 |
元藤燁子「追悼 澁沢龍彦氏」『アスベスト館通信』第5号、アスベスト館、1987年10月30日、p. 16。 |
|
• 04.475 |
澁沢龍彦「前衛とスキャンダル」『アスベスト館通信』第5号、アスベスト館、1987年10月30日、p. 17。 |
|
• 04.476 |
澁沢龍彦「燔祭の舞踊家」『アスベスト館通信』第5号、アスベスト館、1987年10月30日、p. 18。 |
|
• 04.477 |
澁沢龍彦「現代の不安を踊る」『アスベスト館通信』第5号、アスベスト館、1987年10月30日、pp. 19-20。 |
|
• 04.478 |
澁沢龍彦「踊る『形而情学』」『アスベスト館通信』第5号、アスベスト館、1987年10月30日、pp. 20-21。 |
|
• 04.479 |
澁沢龍彦「肉体の不安に立つ暗黒舞踊」『アスベスト館通信』第5号、アスベスト館、1987年10月30日、pp. 22-27。 |
|
• 04.480 |
三浦雅士「ひとつの肉体が舞台を斜めに横切っていった 土方巽の恐怖」『アスベスト館通信』第5号、アスベスト館、1987年10月30日、pp. 28-37。 |
|
• 04.481 |
合田成男「“土方巽”作品ノート2」『アスベスト館通信』第5号、アスベスト館、1987年10月30日、pp. 38-43。 |
|
• 04.482 |
元藤燁子「土方巽とともに5小町への道行」『アスベスト館通信』第5号、アスベスト館、1987年10月30日、pp. 44-57。 |
|
• 04.483 |
「アスベスト館支部便り」『アスベスト館通信』第5号、アスベスト館、1987年10月30日、pp. 58-60。 |
|
• 04.484 |
種村季弘「土方巽野辺おくり祭「むしびらき」 -東北舞踏ぶるまい升玉編-(『あらかね作りの野』種村季弘)」『アスベスト館通信』第5号、アスベスト館、1987年10月30日、pp. 61-62。 |
|
• 04.485 |
「アスベスト館より」『アスベスト館通信』第5号、アスベスト館、1987年10月30日、pp. 63-65。 |
|
• 04.486 |
編集後記「編集後記」『アスベスト館通信』第5号、アスベスト館、1987年10月30日、p. 66。 |
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• 04.487 |
種村季弘「話し言葉の肉体性」『現代詩手帖』、思潮社、1987年11月、pp. 132-133。 |
|
• 04.488 |
内藤正敏「土方舞踏と日本神話の構造」『現代詩手帖』、思潮社、1987年11月、pp. 134-137。 |
|
• 04.489 |
宇野邦一「死の構造化」『現代詩手帖』、思潮社、1987年11月、pp. 138-141。 |
|
• 04.490 |
中村文昭「土方以降?」『現代詩手帖』、思潮社、1987年11月、pp. 142-144。 |
|
• 04.491 |
長尾一雄「土方巽の門を過ぎて」『現代詩手帖』、思潮社、1987年11月、pp. 129-131。 |
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• 04.492 |
國吉和子「dance: 変わりゆく舞踏の姿――土方巽追悼公演〈病める舞姫〉」『美術手帖』、美術出版社、1987年11月。 |
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• 04.493 |
長谷川六「愛の契りこそ 土方巽追悼公演『病める舞姫』」『新劇』、白水社、1987年11月。 |
|
• 04.494 |
山口猛「四方に飛び散って 土方巽亡き後の舞踏を示す土方巽追悼公演〈病める舞姫〉」『演劇ぶっく』、演劇ぶっく社、1987年12月、p. 47。 |
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• 04.495 |
ぴあ情報部「大野一雄らを迎え、土方巽追悼〈異人坂舞踏幻想〉」『ぴあ』第116号、ぴあ株式会社、1987年12月11日、p. 127。 |
|
• 04.496 |
『アスベスト館通信』第6号、アスベスト館、1988年1月20日、[グラビア]。 |
|
• 04.497 |
白石かずこ「土方巽―鬼神と話した日」『アスベスト館通信』第6号、アスベスト館、1988年1月20日、pp. 2-9。 |
|
• 04.498 |
赤瀬川原平「髪の毛一本」『アスベスト館通信』第6号、アスベスト館、1988年1月20日、pp. 10-16。 |
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• 04.499 |
ドナルド・リチ-「百姓の死から百姓の命へ」『アスベスト館通信』第6号、アスベスト館、1988年1月20日、pp. 17-23。 |
|
• 04.500 |
風倉匠「拝啓 土方巽様――承前」『アスベスト館通信』第6号、アスベスト館、1988年1月20日、pp. 24-27。 |
|
• 04.501 |
永田耕衣、鶴岡善久、中村文昭「ことば からだ」『アスベスト館通信』第6号、アスベスト館、1988年1月20日、pp. 28-39。 |
|
• 04.502 |
合田成男「“土方舞踏”作品ノート3」『アスベスト館通信』第6号、アスベスト館、1988年1月20日、pp. 40-46。 |
|
• 04.503 |
元藤燁子「土方巽とともに6白塗りはこうして始まった」『アスベスト館通信』第6号、アスベスト館、1988年1月20日、pp. 47-60。 |
|
• 04.504 |
「アスベスト館より」『アスベスト館通信』第6号、アスベスト館、1988年1月20日、pp. 61-63。 |
|
• 04.505 |
元藤燁子「編集後記」『アスベスト館通信』第6号、アスベスト館、1988年1月20日、p. 64。 |
|
• 04.506 |
三好豊一郎「天才舞踏家を捕える手法」『新潮』、新潮社、1988年2月、pp. 228-231。 |
|
• 04.507 |
副島輝人「日本で生まれた「舞踏」パリ、ニューヨーク、ミュンヘン等世界で話題騒然のBUTOHが今、日本に還ってきた!!」『ちょうふと-く』、ちょうふとーく、1988年2月、pp. 4-5。 |
|
• 04.508 |
「とーく編集長・重岡依里のスマイルインタビュー 音楽評論家 副島輝人氏」『ちょうふと-く』、ちょうふとーく、1988年3月、p. 27。 |
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• 04.509 |
細江英公『アスベスト館通信』第7号、アスベスト館、1988年4月30日、グラビア。 |
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• 04.510 |
池田満寿夫「土方巽と、あの頃のこと」『アスベスト館通信』第7号、アスベスト館、1988年4月30日、pp. 2-7。 |
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• 04.511 |
芝山幹郎「「ジャップ」からいちばん遠い人」『アスベスト館通信』第7号、アスベスト館、1988年4月30日、pp. 8-12。 |
|
• 04.512 |
中西夏之「吊るされた真鍮板」『アスベスト館通信』第7号、アスベスト館、1988年4月30日、pp. 13-21。 |
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• 04.513 |
合田成男「“土方舞踏”作品ノート4」『アスベスト館通信』第7号、アスベスト館、1988年4月30日、pp. 22-28。 |
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• 04.514 |
永田耕衣、鶴岡善久、中村文昭「ことば からだ(承前)」『アスベスト館通信』第7号、アスベスト館、1988年4月30日、pp. 29-38。 |
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• 04.515 |
元藤燁子「土方巽とともに7食べられるオブジェ」『アスベスト館通信』第7号、アスベスト館、1988年4月30日、pp. 39-52。 |
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• 04.516 |
「アスベスト館より」『アスベスト館通信』第7号、アスベスト館、1988年4月30日、pp. 53-55。 |
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• 04.517 |
元藤燁子「編集後記」『アスベスト館通信』第7号、アスベスト館、1988年4月30日、p. 56。 |
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• 04.518 |
市川雅、山口昌男、白石かずこ、三浦雅士、中上健次「シンポジウム BUTOHの現在」『季刊へるめす』第臨時増刊号巻、岩波書店、1988年7月、pp. 34-55。 |
|
• 04.519 |
中村文昭「先人と呼べる人」『詩学』1988年7月号、詩学社、1988年8月、pp. 54-55。 |
|
• 04.520 |
遠丸立「映画・舞踏・旅(下)――1988年1月→4月」『公評』、公評社、1988年8月、pp. 74-79。 |
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• 04.521 |
吉田ルイ子『アスベスト館通信』第8号、アスベスト館、1988年8月30日、[グラビア]。 |
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• 04.522 |
加藤郁乎「久友土方巽」『アスベスト館通信』第8号、アスベスト館、1988年8月30日、pp. 2-9。 |
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• 04.523 |
唐十郎「胸をかりた頃のこと」『アスベスト館通信』第8号、アスベスト館、1988年8月30日、pp. 10-15。 |
|
• 04.524 |
天沢退二郎「弔詞」『アスベスト館通信』第8号、アスベスト館、1988年8月30日、pp. 16-20。 |
|
• 04.525 |
飯島耕一「土方さんの大盤振舞」『アスベスト館通信』第8号、アスベスト館、1988年8月30日、pp. 21-25。 |
|
• 04.526 |
合田成男「“土方舞踏”作品ノート5」『アスベスト館通信』第8号、アスベスト館、1988年8月30日、pp. 26-32。 |
|
• 04.527 |
元藤燁子「土方巽とともに8ズボーノ氏たちのダンス」『アスベスト館通信』第8号、アスベスト館、1988年8月30日、pp. 33-46。 |
|
• 04.528 |
「アスベスト館より」『アスベスト館通信』第8号、アスベスト館、1988年8月30日、pp. 47-51。 |
|
• 04.529 |
元藤燁子「編集後記」『アスベスト館通信』第8号、アスベスト館、1988年8月30日、p. 52。 |
|
• 04.530 |
飯島耕一「四季夕景」『東京人』、東京都文化振興会、1988年8月(夏)、pp. 7-13。 |
|
• 04.531 |
長谷川六「ダンス評・芦川舞踏の出発」『新劇』、白水社、1988年10月、pp. 46-49。 |
|
• 04.532 |
鶴岡善久「日録抄」『言葉』第36号、言葉の会、1988年10月、pp. 40-41。 |
|
• 04.533 |
野中ユリ「兄の力」『別冊幻想文学』(④ — 澁澤龍彦スペシャル I シブサワ・クロニクル)、幻想文学会出版局、1988年11月、pp. 118-127。 |
|
• 04.534 |
中野正好「語り下し「ビューティー放浪記」」『しんびよう』、新美容出版、1988年11月、pp. 232-233。 |
|
• 04.535 |
三留理男『アスベスト館通信』第9号、アスベスト館、1988年11月30日、グラビア。 |
|
• 04.536 |
谷川晃一「土方巽を知った頃」『アスベスト館通信』第9号、アスベスト館、1988年11月30日、pp. 2-7。 |
|
• 04.537 |
矢川澄子「初対面の頃」『アスベスト館通信』第9号、アスベスト館、1988年11月30日、pp. 8-14。 |
|
• 04.538 |
松岡正剛「場面王と中断王」『アスベスト館通信』第9号、アスベスト館、1988年11月30日、pp. 15-21。 |
|
• 04.539 |
松山俊太郎「丸ごと謎の人 天才的でなくて天才であった」『アスベスト館通信』第9号、アスベスト館、1988年11月30日、pp. 22-33。 |
|
• 04.540 |
土方巽「鼬の話」『アスベスト館通信』第9号、アスベスト館、1988年11月30日、pp. 34-43。 |
|
• 04.541 |
元藤燁子「土方巽とともに9肉体の叛乱」『アスベスト館通信』第9号、アスベスト館、1988年11月30日、pp. 44-56。 |
|
• 04.542 |
「アスベスト館より」『アスベスト館通信』第9号、アスベスト館、1988年11月30日、pp. 57-59。 |
|
• 04.543 |
元藤燁子「編集後記」『アスベスト館通信』第9号、アスベスト館、1988年11月30日、p. 60。 |
|
• 04.544 |
中村文昭「異人坂舞踏幻想より 永田耕衣翁と土方巽讃江十句」『俳句空間』第7号、弘栄堂書店、1988年12月、pp. 14-15。 |
|
• 04.545 |
山村基毅「山形県大蔵村職員 森繁哉さん 村をおこす野うさぎダンス」『アエラ 』、朝日新聞社、1989年3月、pp. 45-49。 |
|
• 04.546 |
吉本隆明「ハイ・イメージ論 舞踏論1」『海燕』、福武書店、1989年4月、pp. 170-179。 |
|
• 04.547 |
吉本隆明「ハイ・イメージ論 舞踏論2」『海燕』、福武書店、1989年5月、pp. 222-231。 |
|
• 04.548 |
浅見洋二「『病める舞姫』について」『夏夷』第2号、四夷書社、1987年1月15日、pp. 45-49。 |
|
• 04.549 |
鶴山裕司「不敗者――土方巽断章」『夏夷』第2号、四夷書社、1987年1月15日、pp. 54-72。 |
|
• 04.550 |
横尾忠則「帰りたい天使」『流行通信 Homme』、流行通信社、1989年7月、pp. 77-84。 |
|
• 04.551 |
國吉和子「メトロポリタン・ダンス、舞踏の行方」『流行通信 Homme』、流行通信社、1989年7月、p. 89。 |
|
• 04.552 |
深瀬昌久「情死」『アスベスト館通信』第10号、アスベスト館、1989年7月31日、[グラビア]。 |
|
• 04.553 |
大岡信「キラキラ輝く泥田の言葉」『アスベスト館通信』第10号、アスベスト館、1989年7月31日、pp. 2-8。 |
|
• 04.554 |
金井美恵子「踊りの魂」『アスベスト館通信』第10号、アスベスト館、1989年7月31日、pp. 9-11。 |
|
• 04.555 |
吉増剛造「廃星は淋しさに宿る――土方巽氏に」『アスベスト館通信』第10号、アスベスト館、1989年7月31日、pp. 12-17。 |
|
• 04.556 |
土方巽「風だるまの話」『アスベスト館通信』第10号、アスベスト館、1989年7月31日、pp. 18-27。 |
|
• 04.557 |
吉岡実「姉妹――がらとべら」『アスベスト館通信』第10号、アスベスト館、1989年7月31日、pp. 28-32。 |
|
• 04.558 |
鶴岡善久「土方さんのこと」『アスベスト館通信』第10号、アスベスト館、1989年7月31日、pp. 33-40。 |
|
• 04.559 |
宇野邦一「まだ踊り続ける人に」『アスベスト館通信』第10号、アスベスト館、1989年7月31日、pp. 41-45。 |
|
• 04.560 |
合田成男「“土方舞踏”作品ノート6」『アスベスト館通信』第10号、アスベスト館、1989年7月31日、pp. 46-52。 |
|
• 04.561 |
元藤燁子「土方巽とともに10挫折を越えて」『アスベスト館通信』第10号、アスベスト館、1989年7月31日、pp. 53-66。 |
|
• 04.562 |
「アスベスト館より」『アスベスト館通信』第10号、アスベスト館、1989年7月31日、pp. 67-69。 |
|
• 04.563 |
「『アスベスト館通信』総目次」『アスベスト館通信』第10号、アスベスト館、1989年7月31日、pp. 70-73。 |
|
• 04.564 |
元藤燁子「編集後記」『アスベスト館通信』第10号、アスベスト館、1989年7月31日、p. 74。 |
|
• 04.565 |
横尾忠則「帰りたい天使」『流行通信 Homme』、流行通信社、1989年9月、pp. 133-140。 |
|
• 04.566 |
「天才舞踏家の作品とその業績 2 / 1 木 ETV8風の遺言――舞踏家・土方巽の目指したもの」『TeLePAL』、小学館、1990年1月27日、p. 5。 |
|
• 04.567 |
「土方巽映像展59~85広告」『号』『江古田文学』第17号、江古田文学会、1990年1月(冬)、p. 5。 |
|
• 04.568 |
合田成男「彼はそういう舞踏家であった」『江古田文学』第17号、江古田文学会、1990年1月(冬)、pp. 6-12。 |
|
• 04.569 |
中村文昭「舞踏――その親しみの奥の手」『江古田文学』第17号、江古田文学会、1990年1月(冬)、pp. 13-18。 |
|
• 04.570 |
古沢俊美「東北は世界中どこにだってあるじゃないか」『江古田文学』第17号、江古田文学会、1990年1月(冬)、pp. 19-24。 |
|
• 04.571 |
宇野邦一「差異と身体」『江古田文学』第17号、江古田文学会、1990年1月(冬)、pp. 25-31。 |
|
• 04.572 |
小阪修平「肉体の個別性をめぐって」『江古田文学』第17号、江古田文学会、1990年1月(冬)、pp. 32-37。 |
|
• 04.573 |
大野一雄「語り合い――土方巽追悼」『江古田文学』第17号、江古田文学会、1990年1月(冬)、pp. 38-42。 |
|
• 04.574 |
大森政秀「ドアを開けると幾春別川が…」『江古田文学』第17号、江古田文学会、1990年1月(冬)、pp. 44-46。 |
|
• 04.575 |
大須賀勇「楽屋から眺めた劇場」『江古田文学』第17号、江古田文学会、1990年1月(冬)、pp. 48-53。 |
|
• 04.576 |
芦川正朔「土方巽と私」『江古田文学』第17号、江古田文学会、1990年1月(冬)、pp. 56-58。 |
|
• 04.577 |
五井輝「土埃り」『江古田文学』第17号、江古田文学会、1990年1月(冬)、pp. 60-62。 |
|
• 04.578 |
蝉丸「個人と集団」『江古田文学』第17号、江古田文学会、1990年1月(冬)、pp. 63-64。 |
|
• 04.579 |
小林嵯峨「足早に」『江古田文学』第17号、江古田文学会、1990年1月(冬)、pp. 69-70。 |
|
• 04.580 |
高井富子「手向けの野花おどれるだろうか」『江古田文学』第17号、江古田文学会、1990年1月(冬)、pp. 71-72。 |
|
• 04.581 |
福原哲郎「舞踏の未来」『江古田文学』第17号、江古田文学会、1990年1月(冬)、pp. 73-76。 |
|
• 04.582 |
杉田丈作「僕の二十年(駆け足で)」『江古田文学』第17号、江古田文学会、1990年1月(冬)、pp. 77-79。 |
|
• 04.583 |
土方巽、古沢俊美、佐藤重臣「土方巽と暗黒舞踏派」『江古田文学』第17号、江古田文学会、1990年1月(冬)、pp. 82-88。 |
|
• 04.584 |
古沢俊美「古沢俊美の舞踏論」『江古田文学』第17号、江古田文学会、1990年1月(冬)、pp. 89-104。 |
|
• 04.585 |
高橋睦郎「ぼくは お母さん」『中央公論』文藝特集、中央公論社、1990年3月(春)、pp. 80-87。 |
|
• 04.586 |
須藤徹「禁色抄」『雑技団』、1990年5月、pp. 4-5。 |
|
• 04.587 |
夏石番矢「うたげのあとのよだれ――郁乎病へのカルテ」『未定』第47巻(特別号)、未定編集部、1990年5月、pp. 14-17。 |
|
• 04.588 |
内田正美「レス・ザン・ゼロ」『未定』第47巻(特別号)、未定編集部、1990年5月、pp. 40-41。 |
|
• 04.589 |
鶴岡善久「吉岡さんの思い出」『現代詩手帖』、思潮社、1990年7月、pp. 60-62。 |
|
• 04.590 |
中西夏之「吉岡さんへ」『ユリイカ』、青土社、1990年7月、pp. 34-37。 |
|
• 04.591 |
笠井叡「吉岡実へ」『ユリイカ』、青土社、1990年7月、pp. 37-39。 |
|
• 04.592 |
進藤小枝子「土方巽『病める舞姫』抄2」『匪』第46号、匪編集部、1990年9月、pp. 27-28。 |
|
• 04.593 |
Piovam, Monica「AT THE NEW ASBESTOS-KAN」『tsubushi1号』、tsubushi、1990年9月(秋)、p. 7。 |
|
• 04.594 |
「ICON OF THE BODY」『tsubushi1号』、tsubushi、1990年9月(秋)、p. 8。 |
|
• 04.595 |
「アイコンとしての身体」『tsubushi1号』、tsubushi、1990年9月(秋)、p. 9。 |
|
• 04.596 |
ピオバム・モニカ「新アスベスト館にて」『tsubushi1号』、tsubushi、1990年9月(秋)、p. 10。 |
|
• 04.597 |
Takezawa, Satoko「TOMIKO TAKAI STORY」『tsubushi1号』、tsubushi、1990年9月(秋)、p. 11。 |
|
• 04.598 |
竹澤サトコ「高井富子さんのこと」『tsubushi1号』、tsubushi、1990年9月(秋)、p. 12。 |
|
• 04.599 |
Kono, Takeru「THE WORK OF TOMOE SHIZUNE AND HAKUTOBO」『tsubushi1号』、tsubushi、1990年9月(秋)、p. 13。 |
|
• 04.600 |
黄野多蹴「トモエ静嶺及び白桃房作品について」『tsubushi1号』、tsubushi、1990年9月(秋)、p. 14。 |
|
• 04.601 |
Ashikawa, Yoko「SEARCHING FOR THE OTHER PERSON IN THE BODY」『tsubushi1号』、tsubushi、1990年9月(秋)、pp. 15-16。 |
|
• 04.602 |
「秋きたりて、女体よ!」『週刊新潮』、新潮社、1990年10月4日、[巻末グラビア]。 |
|
• 04.603 |
夏石番矢「オリジンとしての土方巽」『新潮』、新潮社、1990年11月、pp. 296-297。 |
|
• 04.604 |
「『土方巽とともに』」『ダ・カ-ポ』、マガジン・ハウス、1990年11月7日、p. 150。 |
|
• 04.605 |
「土方巽とともに(書評)」『美術手帖』、美術出版社、1990年12月、p. 25。 |
|
• 04.606 |
「永遠の微熱少年 究極のダンディズム 肉体の反乱で舞い踏む日本の原風景 土方巽」『CUBE』、MIDI、1990年12月、pp. 7-8。 |
|
• 04.607 |
立木燁子「日本のBUTOHシーンは今1――アスベスト館開館記念行事を観て」『BACK STAGE』、バック・ステージ編集室、1990-1991年9月(秋、冬)、pp. 31-34。 |
|
• 04.608 |
伊藤美露「ケルン 写真家が写真家を撮った写真展」『アサヒカメラ』、朝日新聞社、1991年2月、pp. 122-123。 |
|
• 04.609 |
市川雅「土方巽 身振りの民俗学」『別冊太陽』第現代演劇60's~90's巻、平凡社、1991年3月、pp. 143-147。 |
|
• 04.610 |
池田龍雄「懐に匕首をしのばせているような男」『月刊美術』、サンアート実業之日本社、1991年3月、pp. 273-274。 |
|
• 04.611 |
『太陽』、平凡社、1991年4月。 |
|
• 04.612 |
「細江英公写真集『鎌鼬』芸術選奨文部大臣賞受賞記念パーティー写真」『太陽』、平凡社、1991年4月、pp. 54-55。 |
|
• 04.613 |
「ヒストリー・オブ・ドラコニア」『太陽』、平凡社、1991年4月、pp. 76-77。 |
|
• 04.614 |
今野裕一「新しい創造を求めて 勅使河原三郎頌」『夜想 』第28 巻、ペヨトル工房、1991年7月、pp. 22-32。 |
|
• 04.615 |
中谷忠雄、小野塚誠、池上直哉、松本徳彦「暗黒舞踏 TATSUMI HIJIKAT and others」『夜想 』第28 巻、ペヨトル工房、1991年7月、pp. 134-138。 |
|
• 04.616 |
桜井圭介「起つことと立っていることのあいだで」『夜想 』第28 巻、ペヨトル工房、1991年7月、pp. 139-143。 |
|
• 04.617 |
「土方巽舞踏ポスター展」『美術手帖』、美術出版社、1991年7月、p. 228。 |
|
• 04.618 |
「土方巽舞踏ポスター展」『ARS NOVA』、日本美術出版、1991年7月、p. 19。 |
|
• 04.619 |
「肉体の美学に迫る――「土方巽舞踏ポスター展」」『oz magazine』、スターツ出版、1991年7月、p. 95。 |
|
• 04.620 |
「舞踏界の巨匠土方とグラフィック界の巨匠の共演」『百日草』、百日草、1991年7月、p. 107。 |
|
• 04.621 |
高橋睦郎「友達の作り方 はじめての反抗 土方巽の巻」『BRUTUS』、マガジンハウス、1991年7月15日、pp. 74-75。 |
|
• 04.622 |
「電子城II唐組 フェロモンの呪縛の巻」『演劇ぶっく』、演劇ぶっく社、1991年8月、pp. 42-43。 |
|
• 04.623 |
「時間パックの向こう側」『演劇ぶっく』、演劇ぶっく社、1991年8月、pp. 44-45。 |
|
• 04.624 |
「60年代――土方巽」『キャプテン ぺディア』、1991年9月、p. 28。 |
|
• 04.625 |
鶴岡善久「闇のなかの稲妻――写真集「鎌鼬」のことなど」『フォト・ジャパン』第61号、日本商業写真家協会、1992年1月(冬)、pp. 65-70。 |
|
• 04.626 |
「DANCE」『Atelier』、アトリエ出版社、1992年3月、pp. 112-113。 |
|
• 04.627 |
合田成男「土方以降の舞踏」『テスピス』、テスピス、1992年3月、pp. 36-43。 |
|
• 04.628 |
大野一雄、大野慶人、中村文昭「舞踏という表現方法」『現代詩手帖』、思潮社、1992年6月、pp. 18-33。 |
|
• 04.629 |
遠丸立「客席から――大野一雄寸描」『現代詩手帖』、思潮社、1992年6月、pp. 34-38。 |
|
• 04.630 |
鶴岡善久「大野一雄すなわち遊戯飛行」『現代詩手帖』、思潮社、1992年6月、pp. 39-45。 |
|
• 04.631 |
白石かずこ「言語としての舞踏」『現代詩手帖』、思潮社、1992年6月、pp. 46-49。 |
|
• 04.632 |
芹沢俊介「わがままの限りを尽くして――大野一雄試論」『現代詩手帖』、思潮社、1992年6月、pp. 51-54。 |
|
• 04.633 |
河村悟「極童祭――舞踏とデクレアシオン」『現代詩手帖』、思潮社、1992年6月、pp. 55-61。 |
|
• 04.634 |
元藤燁子「舞踏家と風呂敷包――大野一雄と土方巽」『現代詩手帖』、思潮社、1992年6月、pp. 62-64。 |
|
• 04.635 |
三宅奏名「凝縮の様式」『現代詩手帖』、思潮社、1992年6月、pp. 70-71。 |
|
• 04.636 |
池上直哉「魂が舞った五日間――『魂の風景』山形ロケにて」『現代詩手帖』、思潮社、1992年6月、pp. 68-69。 |
|
• 04.637 |
大津幸四郎「『魂の風景』を「撮影する」風景」『現代詩手帖』、思潮社、1992年6月、pp. 72-74。 |
|
• 04.638 |
尾形充洸「概括の朧げなる考察」『現代詩手帖』、思潮社、1992年6月、pp. 78-83。 |
|
• 04.639 |
細江英公「大野一雄を撮る」『現代詩手帖』、思潮社、1992年6月。 |
|
• 04.640 |
野村喜和夫「舞踏するひとの叫び」『現代詩手帖』、思潮社、1992年6月、pp. 84-85。 |
|
• 04.641 |
守中高明「歌と出来事」『現代詩手帖』、思潮社、1992年6月、pp. 86-89。 |
|
• 04.642 |
北爪満喜「(瞬間のフローラ)の魅力」『現代詩手帖』、思潮社、1992年6月、pp. 89-91。 |
|
• 04.643 |
大野一雄「たましいのかたち」『現代詩手帖』、思潮社、1992年6月、pp. 92-93。 |
|
• 04.644 |
ヨシダ文憲「無心の悲しみのあゆむところ」『現代詩手帖』、思潮社、1992年6月、pp. 65-67。 |
|
• 04.645 |
高貝弘也「『魂の風景』の悼み」『現代詩手帖』、思潮社、1992年6月、pp. 75-77。 |
|
• 04.646 |
アルミン・アイジュルツ「ラ・アルヘンチーナにささげる」『現代詩手帖』、思潮社、1992年6月、p. 95。 |
|
• 04.647 |
イングリート・ザイデンファーデン「踊りの魔術師」『現代詩手帖』、思潮社、1992年6月、p. 96。 |
|
• 04.648 |
ジョセフ・ウルデ「ラ・アルヘンチーナ頌」『現代詩手帖』、思潮社、1992年6月、pp. 96-97。 |
|
• 04.649 |
ダニエル・カラス「セレスタン聖堂にて」『現代詩手帖』、思潮社、1992年6月、pp. 97-98。 |
|
• 04.650 |
コレット・ゴダール「未生の児」『現代詩手帖』、思潮社、1992年6月、pp. 98-99。 |
|
• 04.651 |
ピエール・ラルティーク「アヴィニオン・アウグスチヌス会礼拝堂」『現代詩手帖』、思潮社、1992年6月、pp. 99-100。 |
|
• 04.652 |
ルイ・アルマンゴル「大野一雄――仮装の解剖学」『現代詩手帖』、思潮社、1992年6月、p. 100。 |
|
• 04.653 |
アリナ・ギルディナー「極小の動きが巨大な感情を伝える」『現代詩手帖』、思潮社、1992年6月、pp. 100-101。 |
|
• 04.654 |
ドミニク・フレタール「暗黒舞踏の帝王」『現代詩手帖』、思潮社、1992年6月。 |
|
• 04.655 |
「大野一雄、大野慶人年譜」『現代詩手帖』、思潮社、1992年6月、pp. 108-109。 |
|
• 04.656 |
細江英公、福島辰夫、金子國義 (鼎談)「絵に触れる、気が触れる(鼎談)」『21世紀版画』、悠思社、1993年1月、pp. 50-53。 |
|
• 04.657 |
布施英利「肉体の美学」『21世紀版画』、悠思社、1993年1月、pp. 54-55。 |
|
• 04.658 |
麿赤児「土方巽 叛乱する肉体の間ジュツ師」『シティ・ロ-ド』、西アド、1993年1月、p. 8。 |
|
• 04.659 |
「大駱駝艦・天賦典式 雨月 昇天する地獄 創立20周年記念特別公演」『アサヒグラフ』、朝日新聞社、1993年4月23日。 |
|
• 04.660 |
「御殿、空を飛ぶ 大野一雄、86歳、赤レンガ倉庫舞踏公演」『アサヒグラフ』、朝日新聞社、1993年4月23日。 |
|
• 04.661 |
市川雅「20世紀末、舞踏はどうなるのか」『アサヒグラフ』、朝日新聞社、1993年4月23日、pp. 13-16?。 |
|
• 04.662 |
溝端俊夫「舞踏家大野一雄〈赤レンガ倉庫と舞踏新世紀への鼓動〉」『横浜文化情報誌』第15号、横浜市文化振興財団、1993年5月、pp. 1-7。 |
|
• 04.663 |
白石かずこ「ESSAY舞踏は天衣無縫の魔力」『横浜文化情報誌』第15号、横浜市文化振興財団、1993年5月、p. 8。 |
|
• 04.664 |
合田成男「キーワード考現学〈舞踏〉」『横浜文化情報誌』第15号、横浜市文化振興財団、1993年5月、p. 9。 |
|
• 04.665 |
「舞踏」『太陽』、平凡社、1993年8月、pp. 160-161。 |
|
• 04.666 |
中村文昭「一教室からの報告F 現代学生が観た舞踏へのコトバ」『江古田文学』第24号、江古田文学会、1993年8月(夏)、pp. 185-189。 |
|
• 04.667 |
加賀見享子「舞踏私観の試み」『江古田文学』第24号、江古田文学会、1993年8月(夏)、pp. 194-195。 |
|
• 04.668 |
坂田ちぐさ「舞踏私観の試み」『江古田文学』第24号、江古田文学会、1993年8月(夏)、pp. 198-199。 |
|
• 04.669 |
工藤栞「舞踏私観の試み」『江古田文学』第24号、江古田文学会、1993年8月(夏)、pp. 204-205。 |
|
• 04.670 |
田中佐和子「舞踏私観の試み 大森政秀舞踏儀 アンモナイトの爪XVを観て」『江古田文学』第24号、江古田文学会、1993年8月(夏)、pp. 205-206。 |
|
• 04.671 |
田中陽子「「舞踏」の舞台を観て」『江古田文学』第24号、江古田文学会、1993年8月(夏)、p. 208。 |
|
• 04.672 |
川口千穂「舞踏私観の試み」『江古田文学』第24号、江古田文学会、1993年8月(夏)、pp. 209-210。 |
|
• 04.673 |
大森彩子「舞踏私観」『江古田文学』第24号、江古田文学会、1993年8月(夏)、pp. 214-215。 |
|
• 04.674 |
松本恵「大野一雄・慶人舞踏公演「花鳥風月」――NHK衛星テレビ」『江古田文学』第24号、江古田文学会、1993年8月(夏)、pp. 218-219。 |
|
• 04.675 |
芝野千栄子「私の舞踏私観 大野一雄の舞台を観て」『江古田文学』第24号、江古田文学会、1993年8月(夏)、p. 222。 |
|
• 04.676 |
落合大祐「舞踏私観の試み 土方から現代へ、文化的なルーツを求めて」『江古田文学』第24号、江古田文学会、1993年8月(夏)、pp. 226-227。 |
|
• 04.677 |
切替智子「舞踏私観の試み 遠藤寿彦を観て」『江古田文学』第24号、江古田文学会、1993年8月(夏)、pp. 227-228。 |
|
• 04.678 |
「玉野黄市――土方巽“直伝”日本のニジンスキーと評判」『アサヒグラフ』、朝日新聞社、1993年9月17日、pp. 24-27。 |
|
• 04.679 |
小西昌幸「TV時評 NHK教育テレビ「ETV-8」の志を評価する 「風の遺言 -舞踏家・土方巽のめざしたもの- 」の衝撃」『HARD STUFF』第11号、先鋭疾風社、1993年10月、p. 184。 |
|
• 04.680 |
「稲架の上の舞踏家――細江英公『鎌鼬』より」『週刊新潮』、新潮社、1993年10月28日。 |
|
• 04.681 |
砂土原台介「詩学断想 第6回」『漉林』第63号、漉林書房、1993年12月、pp. 14-34。 |
|
• 04.682 |
種村季弘、鶴岡善久、元藤燁子「土方巽舞踏大鑑書評」『美術手帖』、美術出版社、1994年2月、pp. 218-219。 |
|
• 04.683 |
元藤燁子「光と闇の艶やかな美学」『アサヒグラフ』、朝日新聞社、1994年3月04月、p. 18。 |
|
• 04.684 |
「澁澤龍彦略年譜」『アサヒグラフ』、朝日新聞社、1994年5月6/13日、p. 17。 |
|
• 04.685 |
國吉和子「転倒した知覚世界」『DANCE MAGAZINE』第臨時増刊巻、新書館、1994年8月、pp. 103-106。 |
|
• 04.686 |
建畠晢「「芸術」を引きずりおろした天才たち」『芸術新潮』、新潮社、1995年1月、pp. 135-136。 |
|
• 04.687 |
三上賀代「舞踏の教授法、伝授法 土方巽、暗黒舞踏から」『体育の科学』、体育の科学社、1995年4月。 |
|
• 04.688 |
國吉和子「土方巽 四季のための二十七晩」『メセナ』第20号、企業メセナ協議会、1995年4月(春)、p. 34。 |
|
• 04.689 |
鳥越Q「玉野黄市」『にくたえも』第1号巻、ユリストシステム、1995年4月(春)、pp. 6-7。 |
|
• 04.690 |
「大野一雄 いのちを大切にする」『にくたえも』第1号、ユリストシステム、1995年4月(春)、pp. 10-13。 |
|
• 04.691 |
GA-YEN「大阪事情通」『にくたえも』第1号、ユリストシステム、1995年4月(春)、p. 16。 |
|
• 04.692 |
古沢俊美「舞踏の舞台」『ビルメンテナンス』、全国ビルメンテナンス協会、1995年5月、pp. 32-33。 |
|
• 04.693 |
田川とも子「死体を立てることから 暗黒舞踏的肉体論序説」『関西学院哲学研究年報』、1996年、pp. 91-113。 |
|
• 04.694 |
及川廣信「身体とイメージ Body & Image――舞踏師大野一雄のばあい」『Art Conference』、シュウ ウエムラ、1996年、pp. 72-77。 |
|
• 04.695 |
石井輝男「石井輝男監督インタビュー 映画の土方巽」『彷書月刊』、弘隆社、1996年2月、pp. 14-18。 |
|
• 04.696 |
秋山令子「『疱瘡譚』 映像の中の土方巽」『彷書月刊』、弘隆社、1996年2月、pp. 19-21。 |
|
• 04.697 |
野村幸弘「土方巽と日本美術」『シアタ-ア-ツ』第2巻、第5号、晩成書房、1996年5月、pp. 172-181。 |
|
• 04.698 |
Prestianni, Sam, "Dnace of Darkness", SF Weekly, SF Weekly, June 5, 1996. |
|
• 04.699 |
Wisner, Heather「Night+Day」『SF Weekly』、SF Weekly、1996年6月05月。 |
|
• 04.700 |
「いのちの根源にさかのぼる踊り」『にくたえも』第2号、ユリスト システム、1996年7月(夏)、pp. 3-11。 |
|
• 04.701 |
「物質に関わる踊り」『にくたえも』第2号、ユリスト システム、1996年7月(夏)、pp. 18-39。 |
|
• 04.702 |
萬雄一郎「土方巽・舞踏序説」『火箭』第19号、詩誌「火箭」の会、1996年12月、pp. 103-115。 |
|
• 04.703 |
Silke Tudor, "Nignt Crawler", SF Weekly, SF Weekly, March 5, 1997. |
|
• 04.704 |
元藤燁子「土方舞踏の原風景」『文芸』、河出書房新社、1997年11月、pp. 320-331。 |
|
• 04.705 |
宇野邦一「土方巽の生成」『文芸』、河出書房新社、1997年11月、pp. 332-338。 |
|
• 04.706 |
土方巽「(未発表草稿)」『文芸』、河出書房新社、1997年11月、pp. 337-338。 |
|
• 04.707 |
Wisner, Heather, "Night+Day", SF Weekly, SF Weekly, February 18, 1998. |
|
• 04.708 |
今泉省彦「美学校の三〇年」『彷書月刊』、弘隆社、1998年3月、pp. 2-5。 |
|
• 04.709 |
南伸坊「美学校の頃」『彷書月刊』、弘隆社、1998年3月、pp. 6-7。 |
|
• 04.710 |
星野勝成「美学校初年度細密画教場の思い出」『彷書月刊』、弘隆社、1998年3月、pp. 8-9。 |
|
• 04.711 |
「世紀末に降臨する舞踏の“魔人”土方巽」『芸術新潮』、新潮社、1998年3月、p. 3。 |
|
• 04.712 |
中谷忠雄、細江英公、山崎博「舞踏馬鹿一代記」『芸術新潮』、新潮社、1998年3月、pp. 4-10。 |
|
• 04.713 |
土方巽「踊る詩人が遺した言葉」『芸術新潮』、新潮社、1998年3月、pp. 11-12。 |
|
• 04.714 |
山崎博、小野塚誠『芸術新潮』、新潮社、1998年3月、pp. 13-15。 |
|
• 04.715 |
元藤燁子、大野慶人「夫としての土方、師としての土方」『芸術新潮』、新潮社、1998年3月、pp. 16-25。 |
|
• 04.716 |
細江英公、筒口直弘「死して「舞踏譜」 残す」『芸術新潮』、新潮社、1998年3月、pp. 26-29。 |
|
• 04.717 |
長谷川六「革命ダンサー風雲録」『芸術新潮』、新潮社、1998年3月、pp. 30-34。 |
|
• 04.718 |
「アーティストたちとの大興行」『芸術新潮』、新潮社、1998年3月、p. 35。 |
|
• 04.719 |
編集部「美術家篇」『芸術新潮』、新潮社、1998年3月、pp. 36-45。 |
|
• 04.720 |
赤瀬川原平「生肉で包んだコンピューター」『芸術新潮』、新潮社、1998年3月、pp. 46-47。 |
|
• 04.721 |
唐十郎「そこに今、何がいるのか」『芸術新潮』、新潮社、1998年3月、pp. 48-49。 |
|
• 04.722 |
「写真家篇(細江英公『鎌鼬』を撮る)」『芸術新潮』、新潮社、1998年3月、pp. 50-53。 |
|
• 04.723 |
細江英公「「鎌鼬の里」の再訪」『芸術新潮』、新潮社、1998年3月、pp. 54-57。 |
|
• 04.724 |
田沼武能、藤森秀郎、石元泰博、深瀬昌久、早崎治「写真家ごごろをそそった男」『芸術新潮』、新潮社、1998年3月、pp. 58-63。 |
|
• 04.725 |
種村季弘「静かな大騒動 土方巽と美術家たち」『芸術新潮』、新潮社、1998年3月、pp. 64-66。 |
|
• 04.726 |
伊熊泰子「すっぱだかにされた3日間 舞踏体験記」『芸術新潮』、新潮社、1998年3月、pp. 67-70。 |
|
• 04.727 |
YAMAGUCHI, GABRIELA, "BUTOH A DANCA DAS TRAVAS", Made in Japan, , March 9, 1998, pp. 43-43. |
|
• 04.728 |
巌谷國士「土方巽 鏡がピカッ――『土方巽全集』刊行に寄せて」『美術手帖』、美術出版社、1998年5月、pp. 171-183。 |
|
• 04.729 |
三好阿佐子「欅の樹のしたで」『Avril』第3号、詩と健康の会、1998年6月、pp. 12-13。 |
|
• 04.730 |
山野博大「日本洋舞略史」『季刊ダンサ-ト』第11号、ダンスカフェ、1998年8月、pp. 23-25。 |
|
• 04.731 |
Saito, Mayumi, "THE CHANGING FACE OF BUTOH", TOKYO JOURNAL, NeXXus Communications K.K., August 1998, pp. 28-31/cover. |
|
• 04.732 |
Wisner, Heather, "Night+Day", SF Weekly, SF Weekly, August 5, 1998. |
|
• 04.733 |
瀧口修造「封印された星は永遠に L'Etoile scelle se perpetue」『レディス・スリッパ』、レディス・スリッパ、1998年9月、pp. 2-4。 |
|
• 04.734 |
荒木経惟「流婆 大駱駝艦・天賦典式」『アサヒグラフ』、朝日新聞社、1998年12月11月、pp. 2-15。 |
|
• 04.735 |
國吉和子「夢の衣裳・記憶の壺」『アサヒグラフ』、朝日新聞社、1998年12月18日、pp. 46-49。 |
|
• 04.736 |
厚木凡人、大野一雄、ドナルド・リチー、國吉和子、合田成男、武智鉄二、ヨネヤマ・ママコ、市川雅「土方巽をめぐる二つのシンポジウム ’50年代から’60年代を中心に」『舞踊学』増刊号、1999年、pp. 127-135。 |
|
• 04.737 |
石井達朗「「土方巽アーカイヴ」開設記念《四季のための二十七晩》をめぐって」『ARTLET』第11巻、慶應義塾大学アート・センター、1999年3月、pp. 2-3。 |
|
• 04.738 |
乗越たかお「コンテンポラリー・ダンスが好き 連載1 舞踏BUTOH」『Balletバレエ』第6巻、音楽之友社、1999年3月、pp. 122-123。 |
|
• 04.739 |
國吉和子「舞踏譜試論――土方巽の資料から」『InterCommunication』、NTT出版、1999年7月、pp. 80-87。 |
|
• 04.740 |
Wisner, Heather, "Do Do That Butoh", SF Weekly, SF Weekly, August 4, 1999. |
|
• 04.741 |
桜井圭介「芸術に昇華した身体――「舞踏」」『にっぽにあ』第11号、平凡社、1999年12月、pp. 16-17。 |
|
• 04.742 |
高橋睦郎、池内紀「芸術と日本人の暮らし 絵画・映画・蔵・茶室」『太陽』、平凡社、2000年1月、pp. 36-47。 |
|
• 04.743 |
Kurihara, Nanako(栗原奈名子), "Hijikata Tatsumi: The Words of Butoh", TDR (The Drama Review), MIT Press, , April 2000 (Spring). |
|
• 04.744 |
Kurihara, Nanako(栗原奈名子), "Hijikata Tatsumi: Chronology", TDR (The Drama Review), MIT Press, , April 2000 (Spring). |
|
• 04.745 |
Hijikata, Tatasumi(土方巽), "Inner Material / Material", TDR (The Drama Review), MIT Press, , April 2000 (Spring). |
|
• 04.746 |
Hijikata, Tatasumi(土方巽), "To Prison", TDR (The Drama Review), MIT Press, April 2000 (Spring). |
|
• 04.747 |
Hijikata, Tatasumi(土方巽), "Plucking off the Darkness of the Flesh", TDR (The Drama Review), MIT Press, April 2000 (Spring). |
|
• 04.748 |
Hijikata, Tatasumi(土方巽), "From Being Jealous of a Dog's Vein", TDR (The Drama Review), MIT Press, April 2000 (Spring). |
|
• 04.749 |
Hijikata, Tatasumi(土方巽), "On Material II Fautrier", TDR (The Drama Review), MIT Press, April 2000 (Spring). |
|
• 04.750 |
Hijikata, Tatasumi(土方巽), "Fragments of Glass: A Conversatin between Hijikata Tatsumi and Suzuki Tadashi", TDR (The Drama Review), MIT Press, April 2000 (Spring). |
|
• 04.751 |
Hijikata, Tatasumi(土方巽), "Wind Daruma", TDR (The Drama Review), MIT Press, April 2000 (Spring). |
|
• 04.752 |
佐藤信「舞踏の頃」『PT』、世田谷パブリックシアター、2000年6月、pp. 4-5。 |
|
• 04.753 |
伊藤キム、桜井圭介、西堂行人、松井憲太郎「日本のダンスを考える」『PT』、世田谷パブリックシアター、2000年6月、pp. 6-17。 |
|
• 04.754 |
國吉和子「二十世紀日本ダンス史」『PT』、世田谷パブリックシアター、2000年6月、pp. 16-27。 |
|
• 04.755 |
Howard, Rachel, "Atomic Dance", SF Weekly, SF Weekly, August 2, 2000. |
|
• 04.756 |
"A TRIBUTE TO HIJIKATA", PACIFIC CINEMATHEQUE, , September 10, 2000, p. 12. |
|
• 04.757 |
國吉和子「記録から生成の坩堝へ 土方巽のノートについて」『ARTLET』第15巻、慶應義塾大学アート・センター、2001年4月、p. 3。 |
|
• 04.758 |
森下隆「舞踏家・土方巽」『htwi』、Heal the World Institute 日本活動本部、2001年5月、pp. 50-51。 |
|
• 04.759 |
白川昌生「いまだ見えざる村山知義の全体像」『彷書月刊』、弘隆社、2001年6月、pp. 33-35。 |
|
• 04.760 |
「土方巽と日本人――肉体の叛乱」『日本の美をめぐる近代』第10巻(岡本太郎 破壊と創造のアート)、小学館、2001年9月、p. 35。 |
|
• 04.761 |
村井丈美「「土方巽アーカイヴ」中谷忠雄コレクション」『ARTLET』第17巻、慶應義塾大学アート・センター、2002年3月、p. 5。 |
|
• 04.762 |
Yeung, Berenice, "Dancing With the Butoh Masters", SF Weekly, SF Weekly, July 17, 2002. |
|
• 04.763 |
廣川サラ「萬ダンス商会」『シアタ-ガイド』、2002年9月、p. 76。 |
|
• 04.764 |
近藤由紀「「舞踏祖型・土方巽の足跡」展」『AC』第2巻、国際芸術センター青森、2002年11月、pp. 16-23。 |
|
• 04.765 |
元藤燁子「大地と光をからだ全体で受けとめ」『AC』第2巻、国際芸術センター青森、2002年11月、p. 21。 |
|
• 04.766 |
Cibert, Christine「Corps surréaliste」『France Japon éco 』第96巻、在日フランス商工会議所、2003年1月、p. 68。 |
|
• 04.767 |
紫牟田伸子「暗黒舞踏の聖地、アスベスト館が閉鎖」『美術手帖』、美術出版社、2003年3月。 |
|
• 04.768 |
「舞踏神を野に放て! 土方巽が主演した幻の映画『風の景色』」『芸術新潮』、新潮社、2003年3月。 |
|
• 04.769 |
三上賀代「アイム ア ダンサー ストリートダンス考」『木野評論』第34巻(“有名する”ひとびと)、京都精華大学情報館文化情報課、2003年3月、pp. 52-55。 |
|
• 04.770 |
「さよならアスベスト館企画 室伏鴻『即興三夜』」『htwi』、Heal the World Institute 日本活動本部、2003年4月、p. 72。 |
|
• 04.771 |
「月刊美術史」『美術手帖』、美術出版社、2003年4月、p. 248。 |
|
• 04.772 |
木村覚「踊ることと見えること 土方巽の舞踏論をめぐって」『美術手帖』、美術出版社、2003年5月、pp. 144-156。 |
|
• 04.773 |
恋川智子「新着のアート本&展覧会カタログから『土方巽の舞踏世界』」『美術手帖』、美術出版社、2003年5月、pp. 192-193。 |
|
• 04.774 |
「土方巽の舞踏世界――中谷忠雄写真集」『月刊美術』、実業之日本社、2003年5月、p. 201。 |
|
• 04.775 |
「カバーインタビュー土井典」『ド-ルフォ-ラムジャパン』第27号、2003年6月。 |
|
• 04.776 |
「人形作家土井典」『htwi 』第20号、2003年6月。 |
|
• 04.777 |
楠本亜紀「「肉体のシュルレアリスム 舞踏家土方巽抄」展の開催」『ARTLET』第20巻、慶應義塾大学アート・センター、2003年10月、p. 5。 |
|
• 04.778 |
北川喜平「舞踏神降臨 暗黒舞踏の始祖土方巽」『BURST』、コアマガジン、2003年12月、pp. 68-69。 |
|
• 04.779 |
鈴木義昭「「夏の嵐」は、土方巽のひとつの到達点だった! 荒井美三雄インタビュー」『BURST』、コアマガジン、2003年12月、pp. 70-71。 |
|
• 04.780 |
中島徹「土方巽燔犠大踏鑑 第二回京都公演72年1月at京大西部講堂」『BURST』、コアマガジン、2003年12月、pp. 72-73。 |
|
• 04.781 |
足立正生「土方巽が語り継いだ幻像世界」『BURST』、コアマガジン、2003年12月、pp. 74-75。 |
|
• 04.782 |
木村覚「土方舞踏論のアカルイミライ――ダンスの未来に向けて」『Bacchus』、T2(Bacchus編集室)、2003年12月(冬)、pp. 40-45。 |
|
• 04.783 |
唐十郎「My memory of Hijikata」『Bacchus』、T2(Bacchus編集室)、2003年12月(冬)、p. 46。 |
|
• 04.784 |
四谷シモン「My memory of Hijikata」『Bacchus』、T2(Bacchus編集室)、2003年12月(冬)、p. 46。 |
|
• 04.785 |
細江英公「My memory of Hijikata」『Bacchus』、T2(Bacchus編集室)、2003年12月(冬)、p. 46。 |
|
• 04.786 |
ビショップ山田「My memory of Hijikata」『Bacchus』、T2(Bacchus編集室)、2003年12月(冬)、p. 46。 |
|
• 04.787 |
合田成男「病める舞姫――表現体としての身体」『Bacchus』、T2(Bacchus編集室)、2003年12月(冬)、p. 48。 |
|
• 04.788 |
小林嵯峨「My vision of Butoh」『Bacchus』、T2(Bacchus編集室)、2003年12月(冬)、p. 50。 |
|
• 04.789 |
山田うん「My vision of Butoh」『Bacchus』、T2(Bacchus編集室)、2003年12月(冬)、p. 50。 |
|
• 04.790 |
ミゼール花岡「My vision of Butoh」『Bacchus』、T2(Bacchus編集室)、2003年12月(冬)、pp. 50-51。 |
|
• 04.791 |
矢内原美邦「My vision of Butoh」『Bacchus』、T2(Bacchus編集室)、2003年12月(冬)、p. 51。 |
|
• 04.792 |
山田せつ子「My vision of Butoh」『Bacchus』、T2(Bacchus編集室)、2003年12月(冬)、p. 51。 |
|
• 04.793 |
元藤燁子、ヨネヤマ・ママコ、石井達朗「座談会 舞踏の考現学 わが青春の土方巽」『Bacchus』、T2(Bacchus編集室)、2003年12月(冬)、pp. 52-57。 |
|
• 04.794 |
鈴木晶「踊るからだ――東と西」『化粧文化』第14号、ポーラ文化研究所、2004年1月、pp. 54-59。 |
|
• 04.795 |
石井達朗「追悼 元藤燁子」『美術手帖』、美術出版社、2004年2月、pp. 145-146。 |
|
• 04.796 |
飯島耕一「地下鉄有楽町線に乗って」『現代詩手帖』、思潮社、2004年2月。 |
|
• 04.797 |
木村覚「望めることと望みえないこととの間で震える境界線が踊る」『美術手帖』、美術出版社、2004年3月、pp. 172-173。 |
|
• 04.798 |
志賀信夫「舞踏にみる少女 土方巽、アリアドーネの會」『TH叢書 』第21巻(少女×傍若無人)、アトリエサード、2004年7月、pp. 156-165。 |
|
• 04.799 |
笠井叡、石井達朗、野村喜和夫「発話する身体、動きだす言葉」『現代詩手帖』、思潮社、2005年3月、pp. 54-72。 |
|
• 04.800 |
白石かずこ「ポエトリーは身体、舞踏の声をきく」『現代詩手帖』、思潮社、2005年3月、pp. 74-75。 |
|
• 04.801 |
吉田文憲「隠れた次元、あるいは流体について――『病める舞姫』にふれて」『現代詩手帖』、思潮社、2005年3月、pp. 76-77。 |
|
• 04.802 |
原田広美「今、「舞踏」を語ることの意味 水面下の「死の硬直」と「衰弱体」」『現代詩手帖』、思潮社、2005年3月、pp. 100-105。 |
|
• 04.803 |
清水哲朗「1960-1970 反体制と反芸術 価値の反転」『美術手帖』、美術出版社、2005年7月、pp. 141-157。 |
|
• 04.804 |
木村覚「硬くて柔らかいエッジで踊る、舞踏はハイブリッド」『美術手帖』、美術出版社、2005年12月、pp. 74-80。 |
|
• 04.805 |
上杉満代「死者と踊る」『Corpus(コルプス)身体表現批評』第1巻(創刊号)、コルプス、2007年1月30日、pp.2-3。 |
|
• 04.806 |
大野慶人「わたしのお父さん」『Corpus(コルプス)身体表現批評』第1巻(創刊号)、コルプス、2007年1月30日、pp. 4-7。 |
|
• 04.807 |
金満里「唯一、師と仰ぐ」『Corpus(コルプス)身体表現批評』第1巻(創刊号)、コルプス、2007年1月30日、pp. 8-10。 |
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• 04.808 |
立木燁子「大野一雄 百歳 生命の輝きいや増して――大野一雄インタビュー」『Corpus(コルプス)身体表現批評』第1巻(創刊号)、コルプス、2007年1月30日、pp. 11-16。 |
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• 04.809 |
長谷川六「壁に吸い込まれてしまいたい。わたしは壁になる -一九八二年アヴィニョンの大野一雄-」『Corpus(コルプス)身体表現批評』第1巻(創刊号)、コルプス、2007年1月30日、pp. 17-20。 |
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• 04.810 |
本永惠子「宇宙に翔ぶ 大野一雄と池田淑人」『Corpus(コルプス)身体表現批評』第1巻(創刊号)、コルプス、2007年1月30日、pp. 21-23。 |
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• 04.811 |
吉田悠樹彦「大野一雄と江口・宮舞踊団」『Corpus(コルプス)身体表現批評』第1巻(創刊号)、コルプス、2007年1月30日、pp. 24-30。 |
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• 04.812 |
志賀信夫「ラ・アルヘンチーナと大野一雄」『Corpus(コルプス)身体表現批評』第1巻(創刊号)、コルプス、2007年1月30日、pp. 31-45。 |
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• 04.813 |
平岡正明「相倉さんのこと――ジャズ批評の夜明けを走る」『ユリイカ』第39巻、第2号、青土社、2007年2月1日、pp. 58-73。 |
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• 04.814 |
Miki Otani「東北の舞台と人 大地の舞踏家 土方巽」『白い国の詩』第598号(通巻)、東北電力、2007年4月(春)、pp. 24-29。 |
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• 04.815 |
志賀信夫「コンテンポラリーダンスと舞踏」『Corpus(コルプス)身体表現批評』第2号、コルプス、2007年5月20日、pp. 52-58。 |
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• 04.816 |
「澁澤龍彦を旅する 「幻想w美術館」逍遥」『ユリイカ』、青土社、2007年8月、pp. 36-54 。 |
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• 04.817 |
津原泰水「もうひとつの髑髏」『ユリイカ』、青土社、2007年8月、pp. 170-173。 |
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• 04.818 |
志賀信夫「被写体=土方巽、三島由紀夫、大野一雄 細江英公インタビュー」『TH叢書 』鈴木孝、岩田恵、望月学英、徳岡正肇編、第31巻(拘禁遊戯 エレガンスな束縛)、アトリエサード、2007年8月6日、pp. 30-42。 |
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• 04.819 |
志賀信夫「闇を売る“闇屋”の発想」『TH叢書』第34巻(奇想ジャパネスク)、アトリエサード、2008年5月2日、pp. 70-84。 |
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• 04.820 |
s「日本の前衛を疾走した土方巽を、いま、ふたたび見つめ直す!」『TH叢書』第34巻(奇想ジャパネスク)、アトリエサード、2008年5月2日、pp. 133-135。 |
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• 04.821 |
徳岡正肇「《舞踏公演》「淵舞い」評」『TH叢書』第34巻(奇想ジャパネスク)、アトリエサード、2008年5月2日、pp. 136-137。 |
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• 04.822 |
細江英公「パンフレット掲載の寄稿文より「土方巽生誕八十年祭」によせて」『TH叢書』第34巻(奇想ジャパネスク)、アトリエサード、2008年5月2日、p. 138。 |
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• 04.823 |
小林嵯峨「パンフレット掲載の寄稿文より」『TH叢書』第34巻(奇想ジャパネスク)、アトリエサード、2008年5月2日、pp. 138-140。 |
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• 04.824 |
森下隆「土方巽生誕八十年のアーカイヴ」『TH叢書』第34巻(奇想ジャパネスク)、アトリエサード、2008年5月2日、p. 140。 |
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• 04.825 |
木村覚「死体について」『10+1 [Ten Plus One]』第50号(最終号)、INAX出版、2008年3月30日、pp. 37-39。 |
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• 04.826 |
浦野玲子「異神の唄、あるいは丑寅のアバンギャルド」『TH叢書 』第34巻(奇想ジャパネスク)、アトリエサード、2008年5月2日、pp. 44-49。 |