慶應義塾大学アート・センター Keio University Art Center

伝ハイネ《ペリー提督首里城より帰還の図(1853年)》の修復、科学分析調査

 本作品は長らくメディア・センターの所管下にありながらその存在を知られることが希であった一群の美術品・資料類のうちの1点である。2013年秋に図書館旧館に保管されてきた絵画等の調査をメディア・センターの呼びかけの下、管財部、福澤研究センター、アート・センターで行い、美術品相当と考えられる作品等について保存活用を促すべく修復活用の検討がなされた。但し、この調査の対象作品はいずれも埃等の面からかなり劣悪な保存状態となっており、活用のためには保存修復処置が必要であった。本作品は、特に埃汚れや黴の付着が著しく、アート・センターを通じて専門家に依頼し、修復保存処置を施した。



保存修復作業記録

2017年3月25日 修復研究所21・渡邉郁夫/担当者 田中智惠子 

作品

作者=伝ウィリアム・ハイネ
作品=ペリー提督首里城より帰還の図(1853年)
制作年=不詳
材質・技法=油絵具、カンヴァス
寸法=546.0×818.0×22.0mm(厚み)

作品概要

 本作品は、『ペリー提督日本遠征画集』に掲載された版画(参考図版)と図様がほぼ一致する油彩画であり、サイン等は確認出来ないが、作者は、ペリー艦隊の随行画家であるウィリアム・ハイネと考えられる。ハイネは、ドイツのドレスデン近郊に生まれ王立芸術学院で絵画を学んだドイツ人である。宮廷劇場の舞台装置画家となるが、ドイツ蜂起の革命側芸術家として参加し、敗北、アメリカへ亡命したハイネは、ペリー艦隊随行画家となり、遠征先の風景を描きとめた。帰国後、その絵をもとに版画が制作され『ペリー艦隊日本遠征記』に掲載されたが、現地で多数描かれた水彩画のうち「首里城訪問からの帰艦」「ルビコン川を渡る」「久里浜上陸」「横浜上陸」「下田上陸」「下田了仙寺境内における軍事演習」の6点は帰国後の1855年に、政府の許可を得て、石版画集『ペリー提督日本遠征画集』として出版され人気を博した。現在は、6点がそろった完本は希少となっており、米国のワシントン海軍博物館やブラウン大学図書館等にリトグラフが所蔵されている。原画の水彩画のうち5点はアメリカの個人蔵(『ハイネの水彩画:マシュー・C.ペリー提督日本遠征1852~1855』アメリカ大使館公邸展示図録、1970年に掲載)になっていたが、現在4点は明星大学図書館が所蔵している。
  ペリー日本来航に関わる油彩画の作品は、本図に加えて、横浜美術館所蔵の「ペリー提督横浜上陸之図」、個人蔵の「ペリー下田上陸図」(「写真渡来のころ」展図録、東京都写真美術館・函館美術館編、1997年に掲載)の全4点が確認出来るが、今後「ルビコン川を渡る」「久里浜上陸」が見出される可能性がある。これらはどれもサイン等がないために伝ハイネ作とされ、一連の水彩画やリトグラフとの関係性は解明されていない。これらの解明には、ハイネの作品を比較検討し、その全体像をとらえる必要がある。今回は修復に加えて、関連作品との比較検討材料とするため、科学分析調査を実施した。地塗り、絵具層の分析からは、19世紀校半の特徴が確認され、赤外線撮影では、下書きの様子を捉えることが出来た。これらの結果が、今後の研究の手がかりとなることを期待したい。[文献]「ペリー来航と横浜」横浜開港資料館、2004年。


【作業前の状態・表面の状態】

・ワニス層:なし
・絵具層:全体に著しい埃汚れや虫糞、黴の付着が見られた。汚れのために画面がくすみ、不明瞭な状態である。前景部に左辺から右辺方向に流れた褐色のしみがある。右辺中附近には楕円が並んだようなしみがある。また細かな亀裂が全体に散在している。画面右上角の附近にひっかき傷がある。鉛筆による下描きの線が目視でも確認できる。
・支持体:既製の画布が使用されている。張りの状態は良好で、下辺部分の木枠と接触する附近に僅かな凹凸変形がある。張りしろは木枠の幅よりも短く、釘には錆が生じている。裏面には堆積した埃汚れの付着があり、画布が見えないほどである。木枠には中桟が無く、楔は一つ紛失している。各辺の側面部中央に木割が釘で打ち付けられている。

【作業内容】

1.写真撮影:修復前の状態をデジタルカメラで撮影記録した。
2.調査:修復前の状態を調査書に記録した。
3.修復方針の検討:作品の調査を行った後、必要な処置・使用する材料を検討した。下辺部に僅かな凹凸変形があり、また張りしろ部分の釘に錆が生じていたため、当初は支持体の張り直しを予定していた。しかし張りの状態が全体に良好であり、破れなどの損傷や張り直しの痕跡もなく、制作時からのオリジナルの状態を保っているため、今回は張り直さず、現状を維持することにした。錆びた釘に対しては、パラロイドB72溶液を塗布して、酸化防止処置とすることにした。
4.裏面、木枠清掃・殺菌:裏面に付着・堆積していた埃汚れ等を、電気クリーナーで吸引した後、エタノール水を含ませたウエスで拭いて汚れを除去した。
5.画面洗浄:(乾式洗浄)ケミカルスポンジを用いて表面に付着した汚れを除去した。(湿式洗浄)精製水を含ませた綿棒で全体を洗浄した後、希アンモニア水溶液を用いた洗浄を行った。アンモニア溶液の濃度は、弱い溶液から始めて、汚れの取れ具合を観察しながら、徐々に濃くしていった。最終的には大部分の汚れが除去されたが、空の部分の特に濃い虫糞付着部や、前景にある左辺から右辺へ向かって流れた褐色のしみは、完全には除去することができなかった。
6.充填整形:絵具層が剥落し欠損している箇所に、ボローニャ石膏と膠水を練り合わせた充填剤を詰め、周囲のマチエールと合うように塑形した。
7.釘へのパラロイドB72塗布:張りしろ部分の釘の頭に、酸化防止のためパラロイドB72(20%)キシレン溶液を塗布した。
8.TBZ防黴・殺菌ワニス塗布:防黴・殺菌としてTBZ(チアベンタゾール)を溶解したダンマルワニスを塗布した。
9.補彩:充填箇所・しみが除去できなかった部分・擦傷等に修復用アクリル樹脂絵具を使用し、補彩を施した。
10.画面保護ワニス塗布:画面の艶の調整にダンマルワニス(10%)をエアコンプレッサーで噴霧した。
11.楔新調(1箇所):オリジナルのくさびが1個紛失していたため、同型のくさびを新調した。
12.写真撮影(修復後・IR):修復後の作品の状態をデジタルカメラで撮影記録した。また、赤外線撮影を行い、下描きの状態を確認した。
13.額装:額縁を新調した。
14.報告書作成:修復作業の撮影記録等と共に、報告書を作成した。

【修復後の所見】

埃や黴の付着によって、修復前は全体に曇ったような状態であったが、今回の処置によって明瞭な画面が再生された。

写真は左から
写真1:琉球全図(修復後・挿図)
写真2:琉球人物部分(赤外線撮影)遠景の山や人物の輪郭線が確認出来る

 

日付

2016年7月~2017年3月