慶應義塾大学アート・センター Keio University Art Center

薗村雪嶺《中井芳楠像》の修復

   本作品は長らくメディア・センターの所管下にありながらその存在を知られることが希であった一群の美術品・資料類のうちの1点である。メディア・センターの呼びかけの下、管財部、福澤研究センター、アート・センターで図書館旧館に保管されてきた絵画等の調査を2013年秋に行い、美術品相当と考えられる作品等について保存活用を促すべく修復活用の検討がなされた。但し、この調査の対象作品はいずれも埃等の面からかなり劣悪な保存状態となっており、活用のためには保存修復処置が必要であった。本作品は絵具層の浮き上がりや剥落が認められた上、支持体は木枠から広範囲に外れ、たわみや変形が著しく、作品本来の姿を損なう状況であったため、アート・センターを通じて専門家に依頼し、修復保存処置を施した。 作者の薗村雪嶺(生没年不詳)は、本名を宗太郎といい、和歌山市中の表具師の家に生まれ、明治11、12年頃、東京に出て某学校で高等教育を受け、図画、数学を専攻した。同30年頃、湊通り丁及び廣道あたりに住まいし、和歌山師範学校で数学および図書科を担任した。その傍ら「小学毛筆画帖」等を著した。同32、33年頃から、和歌山墨林会画家の一員として長く在籍し、毎回出品を怠らなかった。キャンバス裏面に「明治三十二年六月中澣/薗村雪嶺写」と墨書された「山県有朋像」の存在が確認出来、本作と通じる。 中井芳楠(1853~1903)は、嘉永6年に和歌山市鍛冶町に生まれた紀州藩士で、明治5年慶應義塾に入学、卒業後、英語教師として、大阪慶應義塾等で教鞭をとり、和歌山自修学校の校長を経て、慶應義塾の教員となった。同13年に横浜正金銀行に転じ、同23年ロンドン支店長となり、日清戦争後の賠償金の受領と日本への送金を任され、またロンドン市場での日本の軍事公債などの売り出しに功績を挙げ、勲五等正六位に叙せられた。また、渡英中の南方熊楠の世話をしたことでも知られる。同36年2月9日に没した。翌年に、慶應義塾は、その功績を記念するとともに、後進を助けるために、経済財政に関する書籍を購入し、故中井芳楠氏紀念文庫を設置した。本作品は、この紀念文庫設置にともない、図書館に飾られていたと推測される。制作を依頼されたのは、芳楠と同郷の薗村雪嶺であるが、裏面には「明治三十六年八月下旬/薗村雪嶺写」と墨書されており、没後間もなく、芳楠の肖像写真(福澤研究センター所蔵)を元にして制作されたことが判明する。[中井芳楠および紀念文庫に関する解説は、福澤研究センター都倉武之氏のご教示による]。[文献]『紀州郷土芸術家小伝』貴志康親編・発行、昭和5年。『慶應義塾学報』明治36年2月、同37年3月。『福澤諭吉事典』福澤諭吉事典編集委員会編、平成22年。『慶應義塾出身名流列伝』三田商業研究会編、明治42年。



保存修復作業記録

2015年11月30日 修復研究所21/渡邉郁夫

作品

作者=薗村雪嶺
作品=中井芳楠像
制作年=1903年(明治36年)
材質・技法=油絵具、キャンバス
寸法=73.0×57.6×2.3 cm(厚み)


【作業前の状態・表面の状態】

・絵具層:剥落や浮き上がりが、顔面や衣服の部分、背景に認められ、全面に汚れがついている。浮き上がりの周囲の絵具層は固着が良好でなく、接着処置が必要な状態である。
・支持体:麻布のキャンバスである。支持体は右辺や下辺など木枠から広範囲に外れているところがあり、その周辺はたわみや変形が著しい。このため、支持体の変形修正が必要であったが、作品の耳の部分が狭く修正する際の引っ張りが出来ないため、耳を補強する必要がある。
・木枠:深刻な損傷がないため、使用することができる。・額縁:下辺の一部が欠損しているため、修理が必要である。


【保存処置事項及び内容】

1.写真撮影:修復前の状態をデジタルカメラで撮影記録を行った。
2.調査:修復前の状態を調査し、修復方針を検討した。
3.浮き上がり接着:破損部・剥落部周縁の絵具層の浮き上がり箇所に膠水(10%)を差し入れ、緩衝材としてシリコンシートをあてがい、電気鏝を使用し、加温・加圧して接着を行った。
4.耳補強:帯状に裁った麻布の長辺部の一片の織りをほぐし、薄く削いだ部分を画布の側面裏にあてがい、BEVA371フィルムシートを接着剤として使用して接着し、耳補強とした。
5.仮張り変形修正:可動式木枠に作品を仮張りし、画布の変形や張りの状態を見ながら徐々に張りを与え、変形修正を行った。変形が残る箇所は、加湿・加温・加圧して修正した。
6.裏面の木枠清掃・殺菌:裏面に付着・堆積していた埃等を電気クリーナーで吸引した後、エタノール水を含ませたウエスで汚れを除去した。
7.画面洗浄:希アンモニア水溶液を綿棒に含ませ、画面全体の汚れを除去した。
8.充填整形:絵具層が剥落し欠損している箇所に、ボローニャ石膏と膠水を練り合わせた充填剤を詰め、周囲のマチエールと合うように塑形した。
9.防黴・殺菌ワニス塗布:画面に、チアベンタゾール(TBZ)を溶解したダンマルワニスを塗布した。
10.補彩:充填箇所・擦傷等に修復用アクリル樹脂絵具を使用し、補彩を施した。
11.画面保護ワニス塗布:画面の保護と艶の調整にダンマルワニスを塗布した。
12.くさび新調:紛失したくさびを新調した。
13.額修復:額の欠損部を復元した。汚れを除去し、がたつきを修正した。
14.額装:裏面に、裏蓋(ポリカーボネート板)を設置した。
15.写真撮影:修復後の作品をデジタルカメラで撮影し画像記録を残した。


【修復後の所見】 

 本作品は汚れが多く付着していたことと、支持体が木枠か修理後(表)修理後(裏)ら外れたことによって生じた著しい変形により、鑑賞出来ないばかりではなく、保存の観点からも安全に管理することが難しい状態であった。今回の修復では、まず、絵具層の浮き上がりを接着した上で支持体の変形修正を行った。この修正は支持体を木枠から外し、作品より大きめの可動式枠に仮張りし、時間をかけて徐々に引っ張り画面を平らにすることであるが、本作品の変形があまりに著しいため修正には数ヶ月を要した。その間にも変形した形に固まっていた絵具層が、少しずつの引っ張りにも関わらず剥離してしまう場面があった。その時は、時間をおかずに接着し安定させた。このように、本作品の修復作業は長い時間を要し、かつ、慎重な作業であった。現在は、不安定な絵具層は固着している状態であり、移動や展示、保管に遜色ない。しかし、長時間において変形したままの状態が続いていた作品であるため、絵具層の固着が弱くなっており今後も浮き上がりが生じる可能性が否めないため、時々点検することが望ましい。

写真は左から
写真1:修復前(表)
写真2:修復前(裏)
写真3:修復後(表)
写真4:修復後(裏)
写真5:絵画層の浮き上がりを接着

日付

2013年~2015年11月


冬季一斉休暇に伴う閉室(12月28日~1月5日)

12/21(土)ラーニング・ワークショップ「放送博物館」で考えるーアナログ技術のこれまで・これから 開催のお知らせ

1/21(火)「没後39年 土方巽を語ること XIV」開催のお知らせ

1/25(土)「アムバルワリア祭XIV 西脇順三郎と「馥郁タル火夫」たち──モダニズムの再検討は何をもたらすか?」開催のお知らせ

アート・アーカイヴ資料展XXVII「交信詩あるいは書簡と触発:瀧口修造と荒川修作/マドリン・ギンズ」 開催のお知らせ