[椿貞雄?]《吉田小五郎像》の修復
本作品は慶應義塾幼稚舎教員として教育に携わり、1947-56年に舎長をつとめた吉田小五郎氏(1902-83)のご遺族より寄贈された資料の中に含まれていたものである。作者の推定は、寄贈時に作品を入れてあった箱に「吉田小五郎先生像 椿貞雄(?)」と記されていたことによる。それ以外の手がかりは現在のところ残念ながらないが、両者の親しい関係を鑑みれば妥当性があると考えられる。ただ、画風としては、1921年の椿の他作品に比べると北方風が少し弱く、顔の色彩などに色彩が豊かな分、多少印象派的な印象を受ける。この年記を信用するならば、画家25歳、モデル19歳の時の作品となる。1977年に執筆した回想的な随筆で、吉田は自分が幼稚舎に入る4,5年前から岸田劉生の推薦によって幼稚舎で図画を教えた3人の画家(河野通勢、清宮彬、椿貞雄)と知り会い、特に清宮、椿との交際はその後長く続いたことを記している。吉田が幼稚舎に入ったのが1924年であり、その4、5年前から知り合っていたとするならば、この作品の年記1921年にこれらの画家の誰かによって作品が描かれる可能性はこの事実関係と符号する。
保存修復作業記録
2014年3月24日修復研究所21・田中智惠子
作品
作者=[椿貞雄?]
作品名=吉田小五郎像
制作年=1921 年
材質=油絵具、カンヴァス
寸法= 40.9 ×32.0 ×1.9cm
作品概要
山形で生まれた椿貞雄(1896-1957)は、画家を目指して上京し、岸田劉生と運命的な出会いを果たし、劉生に師事して草土舎の創設に参画した。椿は1927年6月から1945年3月まで同じ草土社の河野道勢の辞任した後を受けて幼稚舎の図画教員を勤めている。一方、清宮彬(1986−1969)は、広島に生まれ、白馬会研究所で岸田らと出会い、後の草土舎創立に加わっている。清宮は吉田より早く1923年から幼稚舎で教鞭をとっている。画風に着目するならば、1921年頃の作風としては清宮の作品の可能性もあり得ると考えられる。例えば東京都現代美術館所蔵の《静物》(1922年)の背景の色使いなどに色彩的な類似を見出すことができる。清宮は非常に寡作で、その後、油彩画を殆ど描いていないが、この年代であれば清宮の作品という可能性もあるだろう。いずれにしろ草土舎の作家たちの画風は非常に似通っている場合が多く、判断が難しいところである。しかし、いずれかの画家に肖像画を描いてもらったとしたら、親しく思い出を語っている吉田がそのことに全く言及しないというのも不思議な感じを否めないのも事実である。
吉田小五郎は幼稚舎の教育に大きな即席を残した教育者であると同時にキリシタン史研究でも知られる。
作品は経年による劣化や剥落が生じ、カビなども散見されたことから、修復が必要な状態であったため、アート・センターを通じて専門家に依頼し、修復処置を施した。
〔文献〕「仔馬」「吉田小五郎」『慶應義塾史事典』慶應義塾、2008年、328-329頁、780頁/『生誕100年記念椿貞雄展』(展覧会カタログ)生誕100年記念椿貞雄展実行委員会、1996年/「懐かしい人—椿貞雄—」「懐かしい人—清宮彬—」「清宮さんと椿さんのこともう少し」『吉田小五郎随筆選』慶應義塾大学出版会、2013年
【作業前の状態・表面の状態】
・支持体:市販の画布が木枠に張り込まれている。木枠には中桟がなく、やや捩れが生じている。画布の裏面には冠水による水性しみが広範囲にあり、埃汚れと黴の付着が全体にある。木枠にも黴と斑状のしみが多数ある。
・地塗層:既製の白色地。側面の張りしろ部分には地塗り塗料の剥落が目立ち、釘がすべて錆びている。多湿な環境にあったことが推測される。
・絵具層:画面全体に汚れと黴の付着がある。全面に微小な亀裂がある。木枠の当たる部分に支持体変形と絵具層の亀裂が生じている。画面左下に凸型変形と凹型変形があり、剥落と浮き上がりが生じている。周縁部にも小さな剥落と浮き上がりが散在する。左辺上部付近には、他作品との接触によって付いたと思われる絵具片の付着がある。右上角部分に制作年と朱色の円形マークがある。この円形マークは薄いフィルム状の塗膜となって浮き上がり、一部剥落している。
【作業後の所見】
1. 写真撮影(修復前):修復前の作品の状態をデジタルカメラで撮影記録を行った。
2. 調査:修復前の作品の状態を調査書に記録した。
3. 修復方針の検討:作品の調査を行った後、必要な処置・使用する材料を検討した。
4. 浮き上がり接着:剥落部周縁の絵具層の浮き上がり箇所に兎膠水(7〜10%)を差し入れ、緩衝材としてシリコンシートをあてがい、電気鏝を使用し加温・加圧して接着を行った。
5. 木枠取り外し、裏面及び木枠清掃・殺菌:画布を木枠から取り外し、裏面に付着していた埃汚れなどを電気クリーナーで吸引した後、エタノール含ませたウエスで拭き取った。木枠も同様に清掃・殺菌した。
6. 耳補強:帯状に裁った麻布の、長辺部の片側の織りをほぐし、薄く削いだ部分を画布の側面裏にあてがい、BEVA371フィルムシートを接着剤として使用して接着し、耳補強とした。
7. 画面洗浄:耳補強した作品を板に仮張りし、画面洗浄を行った。純水または希アンモニア水溶液を綿棒に含ませ、画面全体の汚れを除去した。
8. 支持体変形修正:支持体の凹凸変形部分をわずかに加湿してから、加温・加圧して変形を修正した。
9. 支持体張り直し:オリジナル木枠の釘穴に膠水で練った木くずを充填して補強した。木枠の四隅裏面にL字金具を取り付けて固定してから作品を張り直した。
10. 充填整形:絵具層が剥落し欠損している箇所に、ボローニャ石膏と膠水を練り合わせた充填剤を詰め、周囲のマチエールと合うように塑形した。
11. TBZ防黴・殺菌ワニス塗布:防黴・殺菌としてTBZ(チアベンタゾール)とエタノールを溶解したダンマルワニスを塗布した。
12. 補彩:充填箇所・擦傷等に修復用アクリル樹脂絵具を使用し、補彩を施した。
13. 画面保護ワニス塗布:画面の艶の調整にダンマルワニス(10%)を下層に、紫外線からの保護として上層にパラロイドB72ワニス(5%)を画面全体にコンプレッサーで噴霧した。
14. 写真撮影(修復後):デジタルカメラで修復後の状態を撮影記録した。
15. 額装:新調した額縁に作品を収め、裏面からT字金具を用いて固定した。
16. 報告書作成:修復作業の撮影記録等とともに、報告書を作成した。
【修復後の所見】
今回の処置により、目立っていた黴や汚れが除去されて、明るい画面になった。
写真は左から
写真1:修復前
写真2:修復後
写真3:(修復中)浮き上がり接着
日付
2013年11〜12月