慶應義塾大学アート・センター Keio University Art Center

猪熊弦一郎《デモクラシー》の修復

 本作品は1949年に竣工した谷口吉郎設計による学生ホールの東西面の壁画として、谷口の求めに応じて、猪熊弦一郎(1902-93)によって制作された。猪熊は落成式において「壁画の表現形式はかなり突飛だが、こだわらない解放された気持ちを塾生諸君に与えることができれば幸いである」と述べた。第2回毎日美術賞受賞作品。学生ホールは1961年西校舎増築工事のため、北側低地に移築され、その後1992年北館建設に伴い取り壊された。その際、《デモクラシー》は西校舎内の食堂に移設された。2008年西校舎の耐震壁工事のために、作品を壁面から移動する必要が生じ、その機会を捉えて、作品の修復を行うこととし、専門家による修復処置を施した。また、作品撤去時のビス除去において作品へのダメージが大きかったこと、食堂という場所に設置してある以上、今後もある程度の期間をおいて定期的な洗浄や修復処置が必要となると考えられることから、今後の設置撤去時の作品負荷を軽減すべく、耐震壁面工事の際に、壁画取り付け面にコンパネを仕込んだ。[文献]『慶應義塾史事典』、慶應義塾、2008年、542頁、553



保存修復作業記録

2009年11月 修復研究所二十一・宮崎安章/担当者:  宮崎安章、有村麻里(修復研究所二十一)

作品

  • 作者=猪熊弦一郎
  • 作品名=デモクラシー
  • 制作年= 1949 年
  • 材質・技法=油脂塗料、油絵具、シナ合板(三層構造)
  • 寸法=修復前寸法・東壁面:4,425 × 6,526 × 6mm/修復後寸法・東壁面:4,422 × 6,523 × 8mm修復前寸法・西壁面:4,472 × 6,462 × 6mm/修復後寸法・東壁面:4,471 × 6,523 × 8mm

【修復にあたって】

 本作品は、1992 年に創形美術学校修復研究所(現・修復研究所二十一)で修復作業を行った。同年 4 月 22 日に慶應義塾より壁面から外された状態の作品を預かり、同年 9 月 5 日に修復を完了し作品を収めた。建築業者によって作品と額縁を現在の壁面に設置された後に、固定のために用いられたステンレス製の皿木ネジ(3.5 φ× 32mm)の頭に溶剤型アクリル絵具を用いて補彩を当研究所が行った。当時の修復については、創形美術学校修復研究所報告Vo l.10 の 47 頁から 49 頁に記載されている。 
 今回の作品状態と 1992 年の状態は類似する点が多数あり、修復処置内容や工程についても同じように進めることになった。 
 また、損傷の状況が類似していることは、作品の設置されている場所の環境が大きく影響していると考える。 特に天井に近い箇所と食堂という場所と直射日光が当たっている環境下に設置されていたため、合板の剥離が多数あった。 取り外しや設置の際に感じたことであるが、天井に近い場所は床に近い場所と比較して温湿度が高く感じた。実際に温湿度を計測した訳ではないが、温度の差は 5°C前後あるのではないかと感じた。食堂であることや西壁の隣は厨房であることから、湿度の変化も損傷の原因であると考えられる。
 耐震補強工事で窓がふさがれ、直射日光が以前ほど当たらなくなったことは、保存の観点からも良いことである。 作品の表面には汚れが不着し、旧処置の際に塗布されたワニス(下層にダンマル樹脂ワニス、上層にケトン樹脂ワニス)が薄い褐色に黄化している。

【施工処置】

1.壁画の取り外し
作品を止めている木ネジは電動ドライバーを使い取り外した。その後、壁面から一枚ずつ取り外し、薄葉紙とエアーキャップで包み搬出した。壁面に塗られた塗料が作品と癒着していたため、木ネジを外した後に壁面と作品の隙間にヘラを差し込み、癒着箇所を剥がしながら作品を取り外した。
2.支持体の剥離箇所接着
アクリルエマルジョン型接着剤を注入後、ポリプロピレン紙に包み、吸い取り紙を緩衝材として敷き厚さ 30mmの合板に挟みこみ重しを置き加圧し、変形を修正しながら接着した
3.洗浄
希アンモニア水(0.1%)を使用し、表面の汚れを取り除いた。
4.旧ワニスの除去(東壁画のみ)
キシレンとアセトンの混合液(3:1)を使用した。
5.充填整形
絵具層の剥落箇所は炭酸カルシウムと合成樹脂接着剤を練り合わせたものを充填し、ネジ穴や支持体の欠損箇所はエポキシ樹脂パテを充填し、周囲のマチエールに合わせて整形した。
6.支持体の裏面の処置
裏面の欠損箇所はバルサ材をアクリルエマルジョン型接着剤で接着し、小さな欠損はエポキシ樹脂パテを使用した。作品と壁の癒着を防ぐためと、通気のための隙間を作るため、厚さ2mm、20mm四方の檜材の板をアクリルエマルジョン型接着剤で接着した。
7.補彩
溶剤型アクリル絵具を使用した。また壁面に設置作業終了後に木ネジの頭にも補彩を施した。
8.ワニス塗布
下層にダンマル樹脂ワニス(20%)、上層にパラロイドB72 ワニス(5%)を塗布した。
9.壁画の設置
壁面設置箇所の正中を決め、中央になる作品の縦列を 3枚取り付け、下辺の作品から順次取り付けた。本作品を止めていたネジ穴は、大きさによって異なるが平均して 1 枚につき 30 箇所、開いていた。ネジの締め付けよる支持体へのストレスと鑑賞上の問題から、今回は固定に問題が生じない程度の 1 枚平均 10 箇所にネジを減らした。
木ネジはステンレス製の 2 φ× 32mmの細いものを使用した。
設置作業後にネジの頭に溶剤型アクリル絵具を使用し補彩を施した。
西壁画の設置は平成 20 年 12 月 23 日(火)~ 25 日(木)に行った。
東壁画の設置は平成 21 年 8 月 10 日(月)~ 11 日(火)に行った。
10.額縁新調
額縁の取り付けは東、西壁画共に平成 21 年 8 月 11 日(火)~ 13 日(木)に行った。
また、西壁画の一部(右下の出口付近)に足場の設置の際に出来たと思われる擦傷(凹みと剥落)が 1 箇所あり、溶剤型アクリル絵具を使用し補彩を施した。

左から
写真1:修復前西壁面
写真2:修復前東壁面
写真3:取り外し作業
写真4:取り付け作業西壁面
写真5:取り付け作業東壁面
写真6:修復後西壁面
写真7:修復後東壁面
写真8:修復中のパネル

日付

2007(平成19)年12月19日~2008(平成20)年8月31日