慶應義塾大学アート・センター Keio University Art Center

【追悼】長谷川六氏のご逝去にあたり、土方アーカイヴの森下隆が哀悼の意を表します。

長谷川六さん 追悼

長く療養されていた長谷川六さんが他界された。享年85歳であられた。

「ダンスワーク」の発行者で編集長として知られていた。「ダンスワーク」はダンスの研究と批評誌として1967年に創刊されて、その後季刊で刊行されていた。長谷川さんはご自身でも批評されていたが、実に幅広く目配りができる人で、編集者としては適任であった。

私も第77号(2017年・春号)に「土方巽の舞踏再考・その1」を、同・夏号に「土方巽の舞踏再考・その2」を寄稿させていただいた。補足として「その3」も用意していたが、どういうわけか原稿を送らずじまいだった。

長谷川さんから「ダンスワーク」はもう刊行できない、というようなお知らせがあったからかもしれない。その後、残部のある既刊誌を送るので資料として使ってほしいという連絡もあった。

私が初めて長谷川さんにお会いした正確な日は、もちろん覚えていないが、1972年であるのは確かである。この年に、私は土方巽のアスベスト館の活動に協力することとなったからである。ある日、先生(土方巽)に命じられたことは、長谷川六さんのところに行って写真を預かってくることだった。

私は舞踏やダンスの世界のことを何もしらない小僧っ子だったので、もちろん長谷川さんのことも存じ上げなかった。言われるままに、当時、長谷川さんが務めておられた保谷ガラスに出向いて、写真のプリントをいただいてきた。つまり、長谷川さんは写真家であったわけだが、その人がどういうわけか、会社勤めであることに違和感を覚えたことが印象に残っている。

預かった写真は、今から思うと1968年の土方巽の舞踏公演「土方巽と日本人」であったろうが、浅慮にして、土方巽の舞踏の過去も知らずに、ただお使いをしてきただけであった。

思い出は一気にとんで、2012年のこと、アート・センターで「肉体の叛乱」展を開催するに当り、展覧会の冊子に長谷川さんに写真を使用させていただくため新宿の事務所を訪ねた。新宿高島屋の近くのビルの一室の仕事場でお話をうかがい、「肉体の叛乱」の写真をまた預かることとなった。

その際に、土方巽アーカイヴでの今後の長谷川さんの写真の扱いについて指示をいただいた。写真の著作権は写真家(撮影者)にあるわけで、アーカイヴにとって、このやり取りは重要である。

また、長谷川さんには、1965年の土方巽の舞踏公演「バラ色ダンス」に際して制作された「砂糖菓子」もいただいている。「砂糖菓子」は「まきもの」として公演にあわせて土方巽が用意した。加納光於のデザインで、左手、唇、ペニスを模して砂糖で作られ木箱に収められている。もちろん食べることができる。長谷川さんが大事にされていた「砂糖菓子」は茶色に変色し縮んでいた。

長谷川さんとは、その時々のことをうかがうばかりで、1960年代期の活動やプライベートなことをうかがうことはなかった。そのことも惜しまれるが、いつものことながら、まだ時間はあると無意識に思い込んでいたのであろう。

長谷川さんと最後にお話したのは、恵比寿の自宅近くの立ち飲みのお店だった。お気にいりということで案内された。心配事もあるようだったが、まだまだ快活にお話されていた。それからか、入院されているとか、車椅子だが回復されているとか噂を耳にするばかりであった。

春爛漫の折に天国に召されたということだ。今となってはご冥福を祈るばかりである。

(森下)

撮影:志賀信夫



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