慶應義塾大学アート・センター Keio University Art Center

【FromHome】-03 5月22日:「今、この状況下で――見ることのできない展覧会」渡部葉子(2020/5/8)

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慶應義塾大学アート・センターは、展覧会活動やアーカイヴの公開を行ってきました。キャンパスに隣接しながら門の外にあるという場所も含め、小さいながらも外に向かって開かれている学校の小窓的存在と言えます。
新型コロナウイルス感染拡大の影響下、展覧会やアーカイヴの公開を出来ない状況が続いていますが、スタッフはリモートで仕事を続け、アート・センターは活動しています。その中で、現状下における芸術や研究、自分たちの活動や生活について様々に考えを巡らせています。
そこで、所長・副所長をはじめスタッフからの日付入りのテキストを現在時点の記録として、ここにお届けいたします。

慶應義塾大学アートセンター

 

今、この状況下で――見ることのできない展覧会

渡部葉子(教授/キュレーター)

 展覧会は4月9日からオープンするはずだった。予定通り4月7日に展示を終えた展示室は、観客を迎え入れることができないままだ。会期は2度延期され、6月1日開始をアナウンスしていたが、それも見送りとなった。
 美術史を学び、学生時代から毎週のように展覧会に出かけ、美術館に職を得て、展覧会を作り、開き、日々を重ねてきた。大学に移ってからも展覧会に出かけること、展示を見ること、展覧会を作ることは、仕事の一部であり、生活の一部だったと言ってよい。展覧会の準備が忙しすぎて展覧会をほとんど見に行けない数ヶ月を過ごすという半ば自己矛盾した状態で日々を送った時期はあったが、それはいわば展覧会の中にいる状況でもあり、深夜まで美術館で仕事をして作品に隣接していた。そう考えると、展覧会/展示に触れることのできない期間がこれほど続くのは初めてである。また、展示した展覧会を公開できないという経験も初めてである。
 ギリギリで展示を終え、開けることなく、展示がそこに存在するという状況に置かれて、展覧会というものについて、見るということについて、更には美術という「物理的に見る」と言うことがそのベースにある芸術の在り方について考えさせられることになった。それは、これまでの展覧会を見る自分の態度を見直すことでもあり、作品を見るということを再確認することでもあった。

 新型コロナウィルス感染の影響下、大学の新学期は予定のスケジュールより遅れて、まずは当面の期間、遠隔授業を想定して開始されることになった(その後、夏休みまでの全ての授業は遠隔対応となった)。それと同時に、授業概要や予定(シラバス)の見直しも認められた。そこで、私は担当している現代美術に関する授業のシラバスを全面的に見直し、春学期は「見ることのできない」展覧会についての授業を行うことにした。
 4月9日に開始するはずだった展覧会「SHOW-CASE project no.4河口龍夫鰓呼吸する視線」は45㎡という小さなアート・センターの展示室に展開する河口龍夫の個展である。展覧会が開くことができないばかりか、作家が展示に立ち会うこともままならず、作品を預かる際に詳細な指示を受けて、展示を実施する形となった。検討事項が生じた際には随時、電話をかけて相談して展示を進めるという、前代未聞の展示作業であった。しかし、これは河口龍夫が常に展示に対して明解なコンセプトをもつ作家であり、同時に用意周到な準備を怠らない作家でもあるという幸運がなければ難しかっただろう。そして、展示の準備期間—開くことができないかもしれない展覧会を準備する段—から、具体的実際的な事項の相談のみならず、展覧会そのものについて、そこから発展して様々なことについて深く話すことができる稀有な機会がもたらされている。
 このような自分が現在抱えている展覧会をとりあげることから、授業は開始している。現代美術の大きな特徴は作品を生み出した作家が居て、その声を聞くことができることである。それも生かして、この展覧会を通して、遠隔的なワークショップのような試みができないかと試行錯誤中である。
 遠隔授業になったからと言って、授業内容を変えなければ授業遂行が難しかった訳ではない。しかし、展覧会史的観点から過去の重要な展覧会を取り上げて現代美術について講じようとしていたのだが、展覧会を話題にするのであれば、「展覧会を見ることができない」「展覧会を公開することができない」と言う、今、現在起きていることについて考えることを棚上げにすることはできないと考えたのである。
 さらに、常ならぬ状況下で授業をする事態に立ち至り、どうしても9年前の春を思い出さざるを得なかった。3月11日の東日本大震災を受けて、2011年の春学期も授業開始が1月ほど遅延した。未曾有の大災害、さらに収束の出口の見えない原発事故を受けて、このような事態を経てこれは大きな分岐点となり、その前後で大きな変化、ある種の転換点がもたらされるのだろうと考えられていた。しかし、9年経って、恐ろしいほどに何事もなかったかのような日常が流れていた。現在も被災地は旧に復している訳ではなく、震災や事故は続いている。しかし、東京の日常の中では、とても遠いものに薄れてしまっている。あれだけのことがあってもこんな風に忘却してしまうのか。2011年の春の教室は例年とは全く違った雰囲気だった。教室に座る一人一人の学生が、今、ここで学ぶこと、学べることの意味を感じ、考えているという静かだが真摯で濃密な空気に包まれていた。教える側もそれをひしひしと感じたが、そのことをどこにも着地させることが出来なかった。通常とは異なる状態に置かれている今、その状況に向き合った授業を今度こそ実践し、一緒に考え、そのことを残しておきたいと思ったのである。

 週に一度、公開することのできない展示室を点検に訪れる。現在の生活の中で、展示に身を浸すことのできる貴重な時間である。それは、私にとって、新鮮な空気を送り込んでくれる通気口のようなものと言ってよいかもしれない。そして、不思議な巡り合わせだが、この河口龍夫展を構成しているのは、3.11を契機として生まれた作品群なのである。

2020年5月8日


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