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トップページ設置講座クリエイティブ産業研究講義記録08.10.30 講義記録

クリエイティブ産業研究―音楽コンテンツを中心に― (社団法人日本レコード協会寄附講座)

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クリエイティブ産業研究:講義記録

10.30 音楽ビジネスの構図(レコード会社とヒット曲作り) 飯田 久彦(エイベックス・グループ・ホールディングス(株)取締役

 レコードが登場した1950年代は、まだLPレコードが高級品で専門の販売店は少なく、宝石店や時計店の一角で売られていた。1960年代にカラーテレビが登場するが、当時はまだラジオが主流で、ラジオからは日本の歌謡曲のほか、アメリカ軍キャンプのチャンネルからはアメリカの流行曲が流れていた。高度経済成長と戦後のベビーブームで生まれた世代が成人し音楽の需要者が増えた1960年代半ばには、後に一大ブームとなるグループサウンズへとつながるフォークソング、ニューミュージックなどのブームが生まれた。テレビの普及率が50%に達した1970年代には、音楽番組やオーディション番組が多数作られ、1880年代には音楽産業規模がアメリカに次ぐ第2位となり、たくさんのヒット曲が生まれ、レコード店が約8,000店になった。成長し続けた音楽産業の売り上げは、1981年にはじめて前年を下回るが、CDの登場により産業はさらに成長を続け、1980年代後半から1990年代にはテレビタイアップの効果により邦楽を中心にミリオンヒットが多数生まれ、CDバブルとも言われた。カラオケブームなどもあり1998年には生産実績が6,075億円となったが、娯楽が多様化し、1999年以降、音楽産業は2度目の低迷の危機を迎えている。

 歌手になったのは、学生時代に同級生であった坂本九氏に影響を受け、プレスリーを知り、当時流行のジャズ喫茶へ通っているうちに自身でも歌いはじめたから。その後、身近であったレコード業界へ入り、アシスタントディレクターとなったものの、「歌い手崩れ」と厳しい見方をされることもあった。しかし、経験を生かし悔しさをばねに進んできた。これまでを振り返ると、何事も人間関係が最も重要だったと感じる。特に、作詞家の阿久 悠氏との出会いには多くの影響を受けた。詞の中にその時代を表現することを心がけていたという阿久氏は、「ヒット曲には時代が見える」とおっしゃっていた。つまり、その時代を象徴するような作品がヒット曲と呼ばれるようになるのだと。最近はシンガーソングライターの活躍が多くみられ、若い作詞家がいないことを残念に思う。少ないということはチャンスでもあるから、もしも受講生の中に作詞家を目指す人があれば、阿久氏が作詞家を目指す人に伝えて欲しいといっていたことを伝えたい。大切なことは、ヒットチャートに並んでいない、誰もが思いつくものではない作品を作ることで、独自の角度からの視点を持てば人と同じ題材でも全く違う切り口の作品ができるという。また、阿久氏は楽曲の顔となるタイトルを重要だと考えていて、ディレクターはタイトル案をたくさん持っていないといけないから、勉強のため本屋で本のタイトルを見るように勧められた。ピンクレディーの歌う楽曲のタイトルは、阿久氏が出した50個くらいのタイトル案の中から決めていた。ピンクレディーの「渚のシンドバッド」は、「勝手にシンドバッド」でデビューしたサザンオールスターズのタイトルにも引用されている。また、ヒット曲はカバーされ時代を超えて歌われる。
 優れたアーティストは、ジャンルを問わず様々な方面の、そしてたくさんの楽曲を知っている。桑田佳祐氏のように、たくさんのヒット曲を生み出し長い期間活躍できる人物は、作る創造力だけでなく、思う想像力、人と共感する(させる)感性が優れているのではないかと思う。共感の能力は、視聴者だけでなく、スタッフとの間においても発揮されるものである。良い楽曲を作るにはスタッフとの間に信頼関係を築くことが重要である。例えば、エイベックスにおける安室奈美恵さんのスタッフは、全員女性である。

 2000年まではたくさんのミリオンヒットが生まれていたが、今年(10月時点)は、「安室奈美恵」、「EXILE」、「Mr.Children」、「宇多田ヒカル」のアルバム4作品しか出ておらず、シングル版ではミリオンヒットが1枚も出ていない。現在のミリオンヒットがアルバムでしか出ない状況は、ヒット曲=よく売れている曲という公式が成立せず、ヒットという表現よりも、ベストセールスと言った方が適している。今後、音楽業界がさらに成長するためには、CDというパッケージを売るだけではなく、アーティストを売ることになるだろう。そのためにはAR(アーティスト・リレーション)が大切で、マネジメントはそこから始まる。

 音楽の聴き方がステレオからヘッドホンへと変わったように、音が空を飛んでいた時代から、現在は個人で楽しむ時代へと変化した。たかが音楽だが、感動は人を動かすエネルギーとなる。今後、音楽産業と情報産業の結びつきは一層増し、情報も選択肢も増え、いろいろなものに触れる機会も増加するが、安手の情報を掴まないように慎重に判断して欲しい。

質疑応答

Q.これまで音楽を仕事としてきて何が一番辛かったか。
A.売れた時は良いが、売れなかった時が本当に辛い。しかし、この年になっても若い人と一緒に仕事ができることはすばらしいと感じている。