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クリエイティブ産業研究―音楽コンテンツを中心に― (社団法人日本レコード協会寄附講座)

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クリエイティブ産業研究:講義記録

10.2 音楽のプロデュース (アーティストとともに) 武部 聡志((株)ハーフトーンミュージック&システムズ 音楽プロデューサー)

 プロデューサーはアーティストと向き合い、作品がより多くの人々に届くようアイディアを引き出してビジョンを提示(完成形をイメージ)するなど、アドヴァイスを加えることで完成度を高めるだけでなく、必要なスタッフを集め、作品を商品として世の中に送り出す行程のすべてに関わっている。映画の場合は、プロデューサーは仕組み作りを担当し、作品はディレクターが作っているが、音楽の場合には、プロデューサーが双方を兼ねているため、音楽をプロデュースするには音楽を作る経験が必要となる。プロデューサーの人材は、これまではスタッフから生まれることが多かったが、近年は機材や時代の変化とともに音楽を作るミュージシャンがプロデュースも行うようになってきている。1990年代の小室哲哉氏の活躍は、音楽プロデューサーというポジションの重要さを業界内外へ広く知らしめた。現在活躍するプロデューサーの中には音楽を作ることに集中して作品をプロデュースする人もいるが、小林武史氏のように、音楽的にプロデュースするだけではなく、アーティストを自身の事務所に所属させ、トータルなマネジメントを行っているケースもある。

 一青窈は当初、当時流行のR&B歌姫系の楽曲が収められたデモテープを携えてきたが、売り出すにあたって、アジアの香がする彼女の個性が生きる作品作りをした。作詞は一青窈自身がおこなった。今ないものだからこそ世に出したいし、それを予測していくのが作り手の仕事である。当初は、アジア的な作品をレコードメーカーへ売り込んだが受け入れてもらえなかった。世に出たきっかけは、人の力だった。コロムビアミュージックエンタテインメントの一人のディレクターに私的な共感を得てもらえ、世に出すきっかけを掴んですべてがはじまった。作品の輝きは、自分が本当に良いと思った時により高まる。作り手のエネルギーを込めることで、人を引き付け、ユーザーへと伝えてもらう。まずはアーティストを知ってもらい、次はより強くメッセージを伝えることにしている。

 1990年代に、プロデューサーが作詞作曲し、プロデューサーのカラーによるサウンドに乗ってヴォーカリストが歌うというスタイルが世の中に広がり、音楽プロデューサーも広く認知されるようになった。しかし、誰が歌っても同じになるのではないかと思われる楽曲も流行し、アーティストの個性が大切にされず、音楽が軽い物になってしまったように思う。
 これまで、数多くのアーティストと出会ってきたが、キャリアを積み重ねているアーティストは、時代に左右されることなく必ず自分のスタイルを持っている。自分も、そのような音楽に対する姿勢に倣ってきた。プロデューサーは役割上、時代時代の色を取り入れて売らなければいけない。しかし、時代性だけを追っていてはアーティストが亡くなった100年後も歌われる曲になるだろうか。ポップスは時代を映すものだが、時代性を包装紙とするなら、中に必ずアーティストの個性が入っていなければ、残るものにならない。ポップスの時代性と普遍性を意識しながらプロデュースすることが大事だと思う。

 具体的なプロデュースワークについて説明すると、「売れるように」、「いい作品に」、などなどオーダーはさまざまだが、ユーザーに伝わりやすくするのが大切である。アーティストの作ったデモを聴くと、どうしたいのかが自然と導き出される。次にそれをプリプロダクションしたものをアーティストに戻し、ディスカッションを重ねて作品の厚みを作っていく。より良くするためにアーティストとともに何度も何度も取捨選択し、作品を練り上げる。美意識や好みの共有を行い、二人三脚で進んでいくため、アーティストとの間に信頼関係がなければ話ができない。また、音楽的に相互信頼がなければアーティストはプロデューサーの言うことをきけないと思う。
 プロデューサーは歌入れのディレクションも行う。曲にあったミュージシャンを依頼し、レコーディングスタジオを選定する。機材の発達によりさまざまな音の調節、こまぎれの録音と再構成ができるようになったが、1曲は1曲として大切にしたいと考えている。そのため、ヴォーカルのピッチを修正し過ぎたりすることは、アーティストの作品を故意に変えることで賛同できないというのが本音である。テレビ番組で音楽監督をしていて感じたことは、スタッフがアーティストに過保護すぎる面があることである。音楽的なやり取りはアーティスト同士で話し合える環境も必要だと思う。
 日本の音楽業界は、レコードが無くなってCDになった時は流通経路までは変わらなかったが、近年、配信などにより音楽流通の大転換期を迎えている。しかし、音楽が無くなることはない。セールスの低迷を流通やメディアのせいにしてはならない。問題は音楽の魅力にあるのではないだろうか。どうしても手に入れたいと思う作品を作る必要がある。

10.2 音楽のプロデュース (アーティストとともに) 武部 聡志((株)ハーフトーンミュージック&システムズ 音楽プロデューサー)
プロデューサーとして大切なこと
「音楽的な知識を持つこと」
当然のことながら音楽に詳しくなければならない。
「音楽ビジネスの知識」
著作権やビジネスの仕組みを知る必要も不可欠。
「音楽以外の知識」
世の中の動きや音楽以外の芸術にも造詣を深めることも必要。
「良いチームを持つこと」
一人でできることには限界があるため、作る時(エンジニアなど)も、世の中に送り出す時(営業宣伝の人など)も人の力が必要となる。
「伝えたいメッセージとビジョンをもつこと」
ヒット曲を作りたいとか売れたいとかの思いも当然あるが、伝えたい内容が無ければ人を引き付けられない。プロデューサーは、あくまで裏方で、成功はアーティストの力、失敗はプロデューサーの責任である。

はじめに、講師のプロフィールも兼ね、NHKの番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」の一部を鑑賞した。武部氏は「人の心を捉える曲は一時的な流行で終わるものではなく、普遍的な要素をもっている」という。

質疑応答

Q.新人アーティストをプロデュースする際には、どういう点をみているのか。
A.歌の上手い下手ではなく本質的な魅力をみている。持って生まれた声の質など変えようの無いものと、自分なりの独自の言葉(メッセージ)をもっていることが大切。
Q.武部氏はヒット作品を多数生んでいるが、思ったように世間に評価されなかった時に思うことはなにか。
A.思った通りに評価されないことはどの仕事にもある。そもそも、成功の評価ポイントは様々で、どれくらいの売り上げ枚数で成功と考えるかも、アーティストによって異なる。失敗した時はプロデューサーである自分に責任がある。自分自身も自信が無い作品をやむなく世の中に出してしまった時が最も良くないし、一番後悔する。
Q.仕事の生き甲斐はどんなところか。
A.自分が良いと思うものを世の中に問うことが仕事になっているのは、それだけで幸せなこと。プロデューサーを名乗っている人は多いが、それで生活できている人は少ないのが現状で、持続することが大切である。
Q.仕事上の判断のポイントは。
A.職業上判断しなくてはならないことが本当に多い。作品作りだけでなく、ライブから番組の出演まで様々な場面があるが、アーティストに不安感を与えるので、迷ってはいけない。基準は、自分の正直な好みと、アーティストにとって良いかどうか、良いパフォーマンスができる環境が作れるかどうかが最大のポイントとなる。また、そのために、周りを説得するのも仕事である。
Q.アーティストはどのように壁を乗り越えているのか。
A.苦しむだけ苦しまないと次につながらないので手は差し伸べない。しかし、ヒントとなる題材を与え、その中から本筋につながる断片を見つけてくれればと思う。
Q. J-Pop は1990年代中ごろが一番良かったように思ってしまう。今後どうなってしまうのか。
A.既存の物を打破する形で新しい流れが生まれてきた。今は基本ルールが作られ、技術的な進歩もあり、すべて収まりの良い物を作っているから、つまらないものになってしまいがちな状況に陥っている。もっと自由に感じたままを作品に投影できるようになればもっと良い物がうまれるチャンスがあるはず。

参考:公開講座開催告知用ウェブサイト