クリエイティブ産業研究:講義記録
4.19 コンテンツ・ビジネスとその歴史 慶應義塾大学アートセンター 美山良夫
日本における著作権思想紹介者、福澤諭吉
日本に著作権という思想を紹介したのは、慶應義塾の創始者、福澤諭吉である。本日配布した資料にやや古い言葉遣いで「蔵版の免許」、小さい字で「コピーライト」とある。これは福澤が1867年(慶應3年)に執筆し、翌年出版された『西洋事情』の一節であり、西洋の「コピーライト」という概念を日本に初めて紹介した、日本における著作権の事始とでもいうべき記念すべき文章となっている。
ここでは著作権は、「著述家が自分の文章に権利を持って利益をあげられる法律」と紹介されており、「永代著述家の所有とするべき」か、あるいは「期間を限るべき」かという議論あり、とある。つまり、著作権の保護が永久であるべきか、一定期間に限定するべきかという見解が分かれていることを既に紹介している。
福澤が著作権を日本に紹介しようとしたことには、当時福澤が記した著書の海賊版が多く出回り、本来福澤が手にするべき対価を得られないことが腑に落ちないという背景があった。著作権の歴史を研究している倉田嘉弘氏は福澤の主張に注目し、「著者に専売の利を帰せざれば、力を費やして書を著す者なし。世に著書なければ、文明の以て進むべき路なし」という言葉(明治6年)を引用しながら福澤の果たした役割を強調している。
音楽の著作権と演奏権 徳川頼貞の場合
日本における著作権の歴史はおよそ100年になる。1869(明治2)年の出版条例の制定、1886(明治19)年にスイスでのベルヌ条約締結などを経て、1905年に日米著作権保護条約が調印され、ここから日本における著作権制度の歴史が本格的にスタートした。
とはいえ、著作権の考え方が日本にすぐに浸透したわけではなく、さまざまな事件が生じてきた。その中でも特に重要なのが1939(昭和14)年のいわゆる「プラーゲ旋風」である。当時、著作権に対する意識が希薄なまま海外の音楽などの著作物を利用していた日本人に対して、ドイツ人のヴィルヘルム・プラーゲが莫大な使用料を請求したため、日本中で大混乱が生じた。
そのような状況に立ち向かい、一歩も譲らなかったのが徳川頼貞である。徳川御三家のひとつ紀州徳川家の末裔である頼貞は、欧州で音楽を学び、音楽コレクションの蒐集や音楽専用ホールを作るなどしていた。プラーゲからR・シュトラウス「アルプス交響曲」の使用料を要求されたが、当時世界で3つ存在していた演奏権付きの楽譜の1つを頼貞はニューヨークで購入し、所有していたことから、権利上の問題はないと回答したところ、その後何も要求はなかったという。
無断で音楽を演奏すれば、時には膨大なペナルティが要求されることがある。しかし、きちんと演奏権の付いた楽譜を用いれば問題ない。日本における著作権構築期にあって、このような態度をしっかりと見せたのが徳川頼貞であった。
著作権をめぐる事件が多く生じる中で、徐々に日本国内で著作権が議論され、共通の理解が醸成された。プラーゲ旋風の時に日本音楽著作権協会(JASRAC)が設立され、戦後の1949年には著作権審議会が発足、1952年には戦時中に脱退していたベルヌ条約への復帰を果たす。その後もメディア技術のめまぐるしい発展にともない、著作権法はほぼ毎年のように改正されながら、現在の著作権制度とその上で成り立つ文化・芸術産業は形成されてきた。
切花を売るのか、種から花を咲かせるのか
しかしこのような状況には、一定の問題が生じているのもたしかである。私たちは普段からさまざまなところで音楽を楽しんでいるが、その音楽はたとえば花でいえば切花なのか、種苗なのかを考えてみたい。
CDなどに録音された音楽をシングルやアルバムで購入することは、きれいに咲いた切花を買ってくることといっていいだろう。最近ではインターネットを介して音楽のダウンロード購入ができるようになるなど、切花の購入は非常に容易になってきている。
一方で、自分たちで種苗を育て、芽を出させ、花を咲かせることはなかなか進んでいないように見える。ビジネスとしては切花を扱うほうがわかりやすく、リスクも少ないが、種を育てることは芽が出るかどうかもわからず、リスクの高い取り組みである。切花を取引するビジネススキームは大事だが、それだけではなく、種を育て、花を咲かせることを社会全体で考えていかなければならない。放っておいてもクリエイティビティは育まれるると考えていいのだろうか。クリエイティブな活動を支援するための施策を、日本国内や諸外国での取り組みを参考にしつつ、この講座でも考えたい。
著作権に対する英米法的/大陸法的な考え方
ここまで著作権という言葉を幾度も用いてきたが、日本で著作権といったときに、必ずしもそれが世界中で1つの概念として共有されているわけではない。著作権には英米法的な「コピーライト(Copyright)」と、フランスを中心とする大陸法的な「オーサーズ・ライト(Author's Right)」という2つの考え方が存在している。
コピーライトとは、著作物を複製するにはいくらの利用料が必要であり、そしてそこから派生するビジネス等はといった、経済的側面に重きを置いて考える傾向がある。オーサーズ・ライトとは、著者がそもそも所有している自然な権利に重きを置いた考え方である。音楽に対する権利は作曲者の死後何十年存続するのか、あるいは著者の名誉声望といった著作者人格権の問題が中心となる。これからのこの講座において、各ゲスト・スピーカーが、どちらの立場を重視しているか、よく考えながら聞いてほしい。
どちらの立場を取るにしても、問題の中核は、その保護のあり方がどのように創造的な活動に影響を与えているかという点にある。クリエイターたちは自らの著作権の使用料収入によって創造的活動の原資を得ているが、その著作権が保護される期間は一定の期間で消尽することになっている。私はガブリエル・フォーレのピアノ楽譜全集を出版しており、それが日本で出版できるようになったのは、フォーレが亡くなって60年間が経過し、戦時加算をふくめた期間の経過をもった著作権が消滅したからである。
近年、著作権の保護期間を延長するべきかどうかという議論が注目を集めているが、保護期間の議論は、ビジネスの問題だけではなく、私たちが日常生活の中で何ができて何ができないのかに密接にかかわってくる。たとえば、ストラヴィンスキーの「春の祭典」を学生がオーケストラで入場料を取って公開公演をしたいと思ったときに、使用料が障害になって実現できないということも生じうるだろう。
文化は多様性と交流で意味を持つというユネスコの宣言を鑑みたとき、文化を促進する役割をもつべき著作権制度が、逆にそれを阻害してしまうことにはならないだろうか。デジタル技術の発展も視野に入れた幅広い視点から、著作権制度を考え直さなければならない時代に入っているといえよう。