クリエイティブ産業研究:講義記録
4.12 クリエイティブ産業とその範囲 慶應義塾大学アートセンター 美山良夫
本講座は、(社)日本レコード協会による寄附講座として、慶應義塾大学アート・センターが、この研究所としては最初の設置講座として、大学院のアート・アーカイヴ特殊講義とともに開講するものである。(社)日本レコード協会は、日本の主要なレコード業界各社により、公益に資することを目的として設立された団体であり、すでに早稲田大学においても寄附講座をおこなっている。
本講座のミッションは、まずは音楽をはじめとする諸芸術と関係した産業に対して優秀な人材を送り出すことにある。さらに、近年の創造性を中核とした社会・経済情勢の変化は、音楽・芸術産業のみならず、幅広い産業に対して影響を与えている。履修者は、音楽ばかりでなく、産業構造全体を含めた広い視野で、講義に接して欲しい。
近年、音楽・映画・アニメなどのいわゆるコンテンツに対する政策的な関心が世界各国で高まっている。本講座は、こうしたコンテンツの分野を含みつつも、文化や創造性にかかわるより幅広い産業を含む「クリエイティブ産業」という概念を中心として進められる。その理由は大きく分けて2つある。
1つは、産業としての規模・重要性の増大である。1990年代以降、ヨーロッパ、特にイギリスにおいて、第1次・第2次といった旧来の産業区分をくくり直したクリエイティブ産業の概念が提唱され、その振興を目指す政策が進められてきた。
クリエイティブ産業は産業全体の中ですでに大きなシェアを占め、多くの労働者が従事しているものの、産業の定義が存在しないためその実情を理解することが困難であり、政策を担当する組織も不明確な状態にあった。クリエイティブ産業こそが、これからの脱工業社会の主要なプレーヤーであるという期待のもと、国際競争力を獲得するための多様な取り組みが行われている。
もう1つの理由としては、「クリエイティビティ=創造性」こそが、クリエイティブ産業のみならず産業全体の中で重要なキーワードになり始めていることがある。
リチャード・フロリダは、"The Rise of Creative Class"をはじめとする一連の著作の中で、アメリカの産業の幅広い分野がクリエイティブ・クラスという創造的な層によって支えられているという指摘をしている。また、チャールズ・ランドリーは、クリエイティブ・シティの概念を提唱し、今後の経済は、重厚長大産業を中心とした巨大産業都市ではなく、50万程度のヒューマン・サイズの創造的な中規模都市によって牽引されていくと主張している。
クリエイティビティとは、どのようにして我々の社会の中で継続的に発揮されてきたのだろうか。まず、過去の偉大な創造との対話という面を欠かすことはできない。そのような対話を通して新しい創造につなげるシステム・装置を作り出し、クリエイティブ産業を発展させるための取り組みを行わなければならない。
また、人間の感性的な部分においてアートの占める役割は大きいだろう。アート・センターとしては、特にクリエイティビティの根底にあるアートの役割に注目したい。アート・センターでは、芸術そのものより、アートの力を社会に解放するためのコラボレーションやストック形成、マネジメントの方法論研究を重視している。この趣旨に沿って、アートとその根底にあるクリエイティビティの問題を、産業の構造までも射程に入れて考えてきた背景がある。
先述のフロリダは、クリエイティビティの指標として「3T」、すなわち"Technology(技術)"、"Talent(人的資本)"、"Tolerance(寛容・許容)"の3つの要素を挙げている。その3つのTを担保しながら、クリエイティブな環境とそこに基盤をおいた産業のありかたを追究する必要がある。この講座がそのステージになることを期待している。
本講座は1年間を通じて行われる。春は基本的な問題、秋は具体的な分野に焦点を絞った内容となるので、秋学期は春学期をしっかり押さえた上で臨んでほしい。ゲストのラインナップは現在日本で望みうる最高の人たちが名を連ねているが、こうしたラインナップが実現できたのはひとえに(社)日本レコード協会の努力によるものであり、深く感謝をしたい。
このような稀有な機会が講義に出席する約100名のものだけで終わらないように、学期中に広い会場 で公開シンポジウムを開催する予定である。また、講義の概要はアート・センターのホームページでも順次公開する。この講座の成果を社会に広く還元することは、(社)日本レコード協会と慶應義塾大学双方にとって重要な役割であると考えている。