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『アスベスト館ウィーク 舞踏の火、舞踏の華』をBankART1929で開催いたします。
アスベスト館は、1952年に元藤燁子により東京・目黒に設立されました。1950年代から60年代初めにかけては、津田信敏近代舞踊学校として前衛舞踊の活動拠点となり、1960年代には、土方巽がアスベスト館の名を与え「舞踏」創造の場としたのです。
津田信敏の前衛舞踊から土方巽の暗黒舞踏へと、アスベスト館の活動は展開されましたが、ここに若松美黄、大野一雄、大野慶人、笠井叡らのダンス・アヴァンギャルドや舞踏の揺籃期を担ったダンサーたちが集まりました。
またアスベスト館では、土方巽と加納光於、赤瀬川原平、風倉匠、吉村益信、中西夏之、清水晃、中村宏、野中ユリといった前衛美術家たちとのコラボレーションや、日本を代表する先鋭的な芸術家や文学者との知的交流をとおして、舞踊のみならず芸術のさまざまなジャンルに大きな衝撃と影響を与えつづけてきました。
アスベスト館はいわば、破壊と創造のメービウスの輪や肉体的攪乱と詩的高揚のクラインの壺というべき場であり空間であったのです。
しかしながら、そのアスベスト館も2003年6月経済的理由から閉館を余儀なくされ、ついで同年10月19日、館長の元藤燁子が急逝しました。
この1年はアスベスト館にとって、辛い悲しみの1年でしたが、建物が失われたとはいえ、アスベスト館で50年に及んで行われた創造活動の歴史が途絶えたわけではありません。
たえず土方巽の舞踏の根源にあったアヴァンギャルド精神と創造精神は、舞踏家をはじめ多くの芸術家に受け継がれています。そして、アスベスト館で生まれた舞踏は世界の舞台芸術の一潮流となり、世界中のダンサーやダンス研究者の注目を集めています。
舞踏が世界に放たれ、BUTOHが世界から突き返されている今日、土方巽と元藤燁子の創造活動を紹介し、舞踏発祥の場であるアスベスト館の歴史を検証する、このたびのささやかな試みは、現在と未来につづく舞踏の新たな創造にいささかなりとも刺激を与えることと思われます。そして、この催しを失われしアスベスト館再建への活動の第一歩としたいと考えます。
きたる10月19日は元藤燁子の一周忌です。この「アスベスト館ウィーク」において、長くアスベスト館の館主であった元藤燁子を追悼します。
元藤燁子の作品映像上映
構成・進行:森下隆(土方巽アーカイヴ)
ほか秘蔵作品