慶應義塾大学アート・センター Keio University Art Center

【FromHome】-06 5月29日:「コロナ禍、これから芸術家は何を創ってゆくか」石本華江(2020/5/6)

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慶應義塾大学アート・センターは、展覧会活動やアーカイヴの公開を行ってきました。キャンパスに隣接しながら門の外にあるという場所も含め、小さいながらも外に向かって開かれている学校の小窓的存在と言えます。
新型コロナウイルス感染拡大の影響下、展覧会やアーカイヴの公開を出来ない状況が続いていますが、スタッフはリモートで仕事を続け、アート・センターは活動しています。その中で、現状下における芸術や研究、自分たちの活動や生活について様々に考えを巡らせています。
そこで、所長・副所長をはじめスタッフからの日付入りのテキストを現在時点の記録として、ここにお届けいたします。

慶應義塾大学アートセンター

 

コロナ禍、これから芸術家は何を創ってゆくか

石本華江(所員)

4月から所員として新たな生活が始まる予定だった。
今までは舞踏家として、一年の半分は海外に居る生活を何年も続けてきた。2002年からプロとしての活動を始め、2005年に初めての海外公演、その後仕事は海外からのオファーが増え続けた。2019年までに21カ国にて活動を行い、舞踏の国際的な広がりを示すように海外の仕事が9割を占め、ノマディックな生活がアーティストとしての成功であるかという様に、世界中を飛び回っていた。

ダンスの良いところは、パフォーマーと観客が直にその「場」に集まり空間を共有して、その「瞬間」を「体験」することだ。またダンサーは、「集まる」傾向と「触れ合う」傾向がある。これで思い出すのは、2009年に参加したNY州郊外のアーティストレジデンスOMIだ。アートや音楽、ライター、そしてダンスなど様々なレジデンスプログラムがあるが、ダンスO M Iディレクターが「ダンサーほど、一緒に練習し、一緒に創作し、一緒に食事し、一日中一緒に居たがるアーティストの集団は居ない」と言っていたのは今だに忘れられない。勿論「ダンス」と言っても様々な種類や趣向もあるわけで、一概には言えないことは確かだ。しかしダンスに限らず、パフォーミングアートは「Now, Here」への信奉が強いことに同意する人は多いのではないか。

そして、今回のパンデミックである。入国の拒否、移動・外出の自粛や制限、イベントの中止、ソーシャルディスタンス、non-physical technologyなど、ダンスと言わず、アートやエンターテイメント業界、所謂クリエイティブ産業への打撃は大きい。私が今、感じるのは「アートへの無力感」である。

無論、芸術が社会に不必要だと言う人はいない。むしろこうした状況下だからこそ、芸術に救いを求める人も、また政治や社会に対する意思表示として芸術を手段として用いる人もいる。しかし社会インフラが危機に頻した時に、真っ先に機能を停止してゆくのを見るにつれ自分が人生をかけてきたことへの失望感は拭い去れない。

これは東日本大震災の時も同じだった。その後、社会に寄与できない芸術家たち、その奢りと諦め、「アートで社会を変えられない」からこそ何ができるのか、ということが、自分の創作活動においてもステートメントとなった。そして「無駄だからこそ、必要」とより信じるようになったことも事実だ。その後「togetherness」、「sensitivity」といったテーマで作品制作をするようになってきた。

今回、より痛切に感じるのは社会の求める芸術家への矛盾した姿勢だ。芸術家は社会の枠組みに入らない「自由人」だからこそ、「アートのために身を捧げる」からこそ美しく尊い。資本主義に埋没しないからこそ、芸術の価値はある。一種の信仰のような態度は、芸術家の多くが派遣やアルバイトなど非正規労働者として、飲食業やインストラクター等の副業で生計を立てていること、つまりコロナ禍において最も経済的に困窮するであろう集団に属していることを無視していないか。「芸術が大切だ」という論点には、芸術家の生活、また劇場等の経営をどう維持するか、という視点が欠けてはいないか。残念なことに現状は、ネカフェ難民等の貧困者に対しても「甘え」「自己責任」「好きなことをやっているのだから」といった風潮もある。芸術家も今まで、清貧の魂で甘んじてきたこともあるであろう。また中東や他アジアなどと比べ、日本の芸術家は検閲に怯えることなく、恵まれてこそいないが、しかしある程度の水準で生活ができる中で、趣味の延長としても「芸術」できていたことは大きい。これまで社会的弱者であることに目を触れず、自身の創作活動だけを中心に見据えてきたのでないか。私自身が、まずそうだった。

原油価格がゼロとなるのを目撃した、その一点においてだけでも、私は成長資本主義が終わると痛感した。ポストコロナの時代、グローバルではなくなった「ローカル」の世の中でどのように対応するか。オンラインの重要性を誰もが認識するからこそ、「In Real Life」で何をするかが重要となる。弱い者がより弱い立場になる世の中で、低所得者であり社会的弱者である芸術家が何をできるのか。また移民問題や新興国の芸術など、これまでトレンドとなっていた事象がこれからどれほど発言力を維持できるのか。経済的な打撃の中で、マイノリティの言葉はどこまで有効なのか。外出自粛やソーシャルディスタンス、誰もが「今だけ」と思っているが、本当に「今だけ」なのか。

これから、戦後や震災後のように芸術のブームが起こるだろう。またオンラインが浸透するからこそ、人との繋がりやフィジカルなコミュニケーションは求められるだろう。だが資本主義のネットワークに依存していた従来型の芸術から、変革は余儀なくされるに違いない。ポストコロナ時代、またwithコロナ時代であるからこそ、ニーズは揺るがないであろうし、それに応えるアートの供給システムが整備される必要はある。時代の潮流に乗った「コモンズ」の考えもより浸透するであろう。

短期主義、効率化を優先してきた社会だからこそ、「無駄」な芸術が必要とされる。だが必要とされた時に、癒し、スピリチュアル、エンターテイメント路線のニーズにも対応しつつ、またアート至上主義や芸術家選民主義へと思考停止せず、機能不全に陥らないようにすることは重要である。

舞踏の成立を何年とするかは、今は問わない。いずれにせよ、舞踏の創始者土方巽が秋田から上京した日雇い労働者、そして戦後世代であったことは無視できない事実だ。日々の生活にも困窮する中で、フランス哲学やアメリカのネオダダに触発され、他の芸術家たちと金にもならない芸術論を交わし、求めたことは何だったのか。希望を与えること、とチープな言い方はしたくない。接触減ビジネスが流行となると、人とのつながりを求める振り戻しは必ず起こるだろう。その時に、ダンスの果たす役割や効果はある。

コロナ禍に公演を決行した舞踏家たち、そこに集った舞踏ファン、今だからこそアートを続ける必要性を説き街頭で活動を続けたパフォーマーもいた。彼らの揺るぎない「芸術に対する愛情や希望」に異論を唱えたいわけではない。ただし今回は、東日本大震災とは意味合いが違う。自らが公演を行うことで死者を増やすかもしれない、というリスクが付き纏う。だが、そこに議論を持ちかける気持ちはない。

戦後に舞台上で鶏を絞め殺し、模造男根をつけて観客をアジテーションした土方巽が観客に対する「責任」などを考えるはずもないだろう。だからこそ、現在これほどまでに世界に受け入れられた「舞踏」という芸術を作り上げる原動力となったのだ。

だが繰り返すが、現在は時代が違う。公演直前に場所の変更を余儀なくされオンライン発信に切り替えたシアターコモンズの代替措置、課金制のオンラインワークショップや動画配信を企画する舞踏家など、身近にも枚挙に暇ない。新たな試みはどんどん生まれている。筆者自身も震災後に舞台上での表現に限定する意味を見失い、映像作品や3Dホログラムでの上演、アバターを用いたバーチャルリアリティ上でのダンスセッションなど様々な企画に参加してきた。そして2020年、これから何を行ってゆくか。「今だからこそ」集い、場所を共有して、瞬間的な芸術を見る。連綿と続いた舞台芸術の伝統を守ることも大切だ。

またアーカイヴの持つ役割もある。新たな視点・手法が模索され、拡大化すればするほど、「残してゆく」ことの意義も同様に高まる。未来を予見することはできないが、過去から学ぶことはできる。アーカイヴをサンクチュアリとすることに異論はあるが、ある一点を押さえておくことで拡がりを加速する役割もあるのではないか。

残念なことに、禍や貧困、負の事象が芸術の栄養でもある。これから何を創ってゆくのか、自己批判を内包した芸術の力が問われるのは間違いない。また芸術家が創り続けることを可能にする環境、また生活自体を守ることも、芸術発信の仕方を模索することと同様に必要である。これから行われる自然淘汰は防ぎようもないことかもしれないが、豊潤さを失わないか、恐怖を感じる。

2020年5月6日


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