【FromHome】-01 5月18日:「オリンピック記念浮世絵絵画展の、コロナ禍での顛末」内藤正人(2020/4/16)
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慶應義塾大学アート・センターは、展覧会活動やアーカイヴの公開を行ってきました。キャンパスに隣接しながら門の外にあるという場所も含め、小さいながらも外に向かって開かれている学校の小窓的存在と言えます。
新型コロナウイルス感染拡大の影響下、展覧会やアーカイヴの公開を出来ない状況が続いていますが、スタッフはリモートで仕事を続け、アート・センターは活動しています。その中で、現状下における芸術や研究、自分たちの活動や生活について様々に考えを巡らせています。
そこで、所長・副所長をはじめスタッフからの日付入りのテキストを現在時点の記録として、ここにお届けいたします。
慶應義塾大学アートセンター
オリンピック記念浮世絵絵画展の、コロナ禍での顛末
内藤正人(所長/文学部教授)
いよいよ2020年、東京での二度目のオリンピック開催に向けて日本中がなんとなく浮かれていた、昨年のこと。それはただ単にスポーツの祭典というわけではなく、文化の祭典でもある、ということから、1964年の前回同様に都内では、美術展の企画も数多く進行していた。ことに、開催国をうたう日本発の文化の発信、という観点では、やはり五十数年前にも江戸時代の浮世絵展が複数企画されたことが記憶され、往時はまだまだ少なかった美術館の代替施設である大手百貨店の展示場で、実際にいくつかの浮世絵の版画展や絵画展が催されたのである。
その顰に倣う形で、この4月から浮世絵の、それも珍しい絵画作品を集めた展覧会で監修をお引き受けすることになったのだが、直前の2月ごろから件(くだん)の状況が進行し徐々に雲行きが怪しくなっていった。まだそのころは、呑気に不要不急の海外旅行に出かける日本人が、少なくなかったころでもある。幸いにも、百件弱の全作品の借用と会場での陳列、さらに図録作成などは諸方面のご協力を得て、三月末までにどうにか完遂できたにもかかわらず、もっとも肝心の展覧会が公開できずにそのまま塩漬けとなった不幸については、他のすべての美術展とほぼ同様の状況である。オリンピック委員会から記念タイトルの使用を許可され、重要文化財指定の複数の名品や初公開、再発見の作例を多く集めただけに、このような次第となり口惜しいのはやまやまなれど、ここには通常開催を断念してからの経緯を、後の世のためにも記録すべき責任があると痛感している。
その展覧会の会場である松濤美術館は渋谷区の行政の美術館であり、区の指導で人の密集を避けるために開館できないのは、やむを得ないことである。ただせめてものできることといえば、貴重な作品をご出品いただいた個人や組織の皆様、あるいは図録に寄稿してくれた研究者の若い仲間たちに、その展示をみてもらえるようにすること、である。むろんこの状況下ゆえ、希望があればというのをその前提として、このことだけは許可が出るようお願いし、「三密」を避けるのを条件に実施できるよう館側と相談した。ただし一般公開ができないという苦しい状況はまったく打破できず、広報等にも影響が出るものと開催側ではすでに諦観が支配的であった。
ところが面白いもので、展覧会はNHKの美術番組や同じく昼のバラエティ、大手複数の新聞記事などにも次々に取り上げられることになった。考えてみれば、この非常事態はマスコミも予想できない状況下にあり、とくに美術をとりあげるコンテンツでは圧倒的にそのソースが枯渇しているわけだ。現在は閉館中、という断り書きを下げながらも、展覧会や出品作品の紹介だけは連綿と続いていく、という新しい状況の発生である。ただし事前の予想通り、それら番組や記事でも、展示室のある部分のみはまったく触れられることがなかった。今回、開明的かつ先進的な若者の街、渋谷区側と館長(あるいは館側)の英断により、通常は敬遠される浮世絵の本質、つまり春画の展示コーナーが設けられたのである。もちろん、ストレートな性表現を好まない向き、あるいはみせることができない未成年者への配慮を十分におこないながら、ということである。しかし、「マス」コミではそれを、電波に乗せたり写真付き紙面に掲載できない、ということだ。
展示室内のさまざまな工夫については、出陳作品の魅力を高めようとしたり、或いはわかりやすさを追求する学芸サイドの努力も並々ならぬものがあった(そもそも、江戸の美人画で「いっぴん、ベッピン、絶品!」と展覧会を命名する所作は、実に若々しく、また瑞々しいだろう)。そうした流れのなか、早くも展示は未公開のまま、中間の折り返し地点へと差し掛かる。この展覧会は二部構成で、前期後期それぞれにしか展示されない作品があるために、このままで終わるにはなんとしても悔しい感が強かったのだ。そこで、次のような提案をこちらから館のサイドにおこなった。展示会場の映像記録の撮影、それも、素人ではなく映像作家に依頼しての、本格的な動画の撮影である。コロナ禍により、俳優や音楽家などの収入減が取り沙汰されているが、それは現代の美術家たちも同様である。その彼らに少しでも仕事をしてもらうこと、そして当然、一期一会の、しかも未公開の展覧会を公的な記録に残すこと、その二つを同時に解決するために、強く提案をおこなったのである。おそらく館側も、そのような映像公開についての考えを模索したには違いなく、いきおい話は具体化の方向へと進んだ。いままさに、映像撮影の段取りを相互で確認、相談しているはずだが、私ができることといえば、そのプランがそのままうまく進行することを自宅で祈ることしかない。
展覧会、という装置は、比較的新しい近代の歴史にしかその足跡がないが、それでも今まで数々の戦争禍、また天災などに見舞われ、その都度困難な状況に追い込まれたという忘れてはならない過去がある。そのなかでは、作品が永遠に失われる、という痛恨の事態を繰り返し体験しているが、今回世界中に蔓延している人の身体を蝕むウィルス、病魔は、我々の世界に存在する作品を直接失わせるようなことはしない。ここはやはり、我々が個々に身体の健康維持に高い意識をもち、それによって、やがてまた素晴らしい作品に出会えるように我慢し、英気を養う、ということしか思いつかない。研究も教育も普及も、そのすべては人の健康があってこそ実行や推進が可能であり、ここしばらくは、四字熟語で有名な臥薪嘗胆をその言葉通りに実践するしかないだろう。それでも、今粛々と私たちが自宅でこなしているのは、各大学ごとにシステムが異なるオンライン講義の非常に複雑な準備とともに、この夏や秋冬、さらには来年に向かっての展示や刊行物をつくるための、大小さまざまな努力の積み重ねなのである。明日の、またその先へと目を向けて、静かに、また着実に歩みを進めるのだというしたたかな覚悟を、私自身は今日この瞬間も反芻しているところだ。
2020年4月16日
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