Architecture in Mita Campus

1. 三田演説館 Enzetsu-kan

[竣工]1875年5月[構造]木造、地上2階建、寄棟造桟瓦葺屋根
[延床面積]192.16㎡

1874年、福澤諭吉を中心に三田演説会が発足した。その翌年に竣工した本演説館は、我が国最初の演説会堂として知られる。外壁は板瓦貼りなまこ壁で、ガラスをはめた洋風の上下窓、正面中央には切妻造屋根の玄関を設けるなど、幕末・明治初頭に流行した和洋折衷様式をとどめる。 建造にあたってはニューヨーク駐在の副領事富田鉄之助に依頼し、多くの公会堂の建築資料を収集した。竣工当初は旧図書館と塾監局の間にあったが、関東大震災で被災した塾監局の再建にともない、1924年に現在の場所に移築された。戦中、三田山上は空襲による甚大な被害を受けたが、本演説館は奇跡的に破損を免れた。1967年に国の重要文化財に指定された。 

2. 旧ノグチ・ルーム[第二研究室談話室・萬來舎] Ex Noguchi Room

第二研究室=[設計]谷口吉郎[竣工]1951年[構造]鉄筋コンクリート造、地上2階建[延床面積]1,050㎡
2005年移築=[移築設計]隈研吾[庭園 デザイン]Michel Desvigne

戦災被害を受けた三田キャンパスの復興計画を任された谷口吉郎は既存建築と調和しつつ新しい息吹を感じさせる「造形交響詩」を奏でようと次々と建築を手掛けていった。その中で初めて鉄筋コンクリート構造で建てられた第二研究室が最後まで残っていたが、2003年に南館建造のために解体、学内で長く「ノグチ・ルーム」と呼ばれた談話室部分だけが南館3階ルーフテラスに隈研吾の手を経て形を変えて移築されている。「ノグチ・ルーム」は父親ヨネ・ノグチが慶應義塾で長く教鞭をとったという縁のある彫刻家イサム・ノグチと谷口のコラボレーションとして誕生した空間であり、当時と姿が変わっているものの、ノグチのデザインによる家具類や関連して制作された彫刻3体は残されている。また、直線のリズムが美しい特徴的な縦長の窓の意匠など、数多く存在した谷口建築のよすがを知る唯一の遺構でもある。

3. 大学院校舎 Graduate School Building

[設計]槇文彦[竣工]1985年[構造]鉄骨鉄筋コンクリート造、地上9階地下2階建[延床面積]8,787㎡

慶應義塾創立125周年記念事業の一環として建設された。中庭の広さの確保と、図書館新館との調和とに配慮した設計となっている。1・2階に特別教室、3階に普通教室、4・5階に大学院演習室があてられ、学生数の増加、学問の多様化・専門化に伴う少人数用教室の必要に対応した。6階以上は研究スペースであり、6階全体と7階の一部に大学院生研究室、7・8階に複数の専門研究室が設置されている。地下1階には三田ITC(インフォメーションテクノロジーセンター)がある。

4. 図書館新館 New Library

[設計]槇文彦[竣工]1981年[構造]鉄骨鉄筋コンクリート造、地上7階地下5階建[延床面積]15,188㎡

閲覧席1,100、収蔵能力115万冊を備える。建設に伴いサービスの拠点は新館に移され、旧館は会議室、貴賓室、研究所として利用されるようになった。旧館の八角塔をイメージした意匠が取り入れられており、素材も外観は暖色系のタイル、内部の仕上げは木の格子を用い、やわらかい空間をつくりだしている。1983年第24回BCS賞受賞。図書館入口には飯田善國の彫刻作品が、入って右手には宇佐見圭司の壁画が、槇文彦の依頼によって制作・設置された。

5. 第一校舎 First School Building

[設計]曽禰中條建築事務所 [竣工]1937年[構造]鉄骨鉄筋コンクリート造、地上3階地下1階建 [延床面積]5,6 72.13㎡ (現在)

三田キャンパスの中央に位置する本校舎は、三田山上の旧図書館や塾監局との調和を重視して計画された。外観・内観ともに装飾を排した造りを特徴とする。校舎の中央部分には3層吹き抜けの階段 ホールが設けられており、中廊下に教室が配されている。建設当初は大学学部校舎(または新館)と呼ばれ、戦後しばらくして第一校舎と呼ばれるようになった。1965年に屋上に軽量鉄骨平屋造の第五研究室が増築され、地上4階地下1階建となり、現在に至る。竣工以来、三田の文系学部の講義に利用されている。

6. 慶應義塾塾監局 Jukukan-kyoku

[設計]曽禰中條建築事務所[竣工]1926年
[構造]鉄筋コンクリート造、地上3階地下1階建 [延床面積]2,455.38㎡

関東大震災の被害を受けた旧塾監局を取り壊し、新たに建造されたのが本塾監局である。旧図書館と同じく、当時としては国内有数の建築事務所であった曽禰中條建築事務所が設計を手がけた。外観はスクラッチタイルとテラコッタを基調とし、中央に玄関ポーチを設けた左右対象の構成を特徴とする。名称の由来は、福澤諭吉が適塾在学中に使用していた言葉「塾監」にある。「塾長の下、学級の上に位置する組織の名称」の意で、建物の名称であるとともに、慶應義塾の事務行政全般を司る意味を伝えている。 

7. 図書館旧館 Old Library

[設計]曽禰中條建築事務所[竣工]1912年[構造]煉瓦造、地上2階地下1階建、一部鉄骨鉄筋コンクリート造[ 延床面積]3,562.1㎡(現在) 

慶應義塾創立50年の記念事業の一環で建設された。赤煉瓦と花崗岩、テラコッタによる記念館らしい華やかな外観を特徴とする。当時の大学図書館としては、大規模かつ整った外観・内観を有する点で際立つものであった。関東大震災の被害を受けて一部を鉄骨鉄筋コンクリート造に改修。1945年5月の空襲で屋根が抜け本館内部が炎上、その後、修復された。なお、1915年和田英作が原画、小川三知が制作を手がけたステンドグラスが正面階段上に設置されたが、戦災で破損したため、現在のステンドグラスは後年の復元である。1970年に初期の建物部分が国の重要文化財に指定された。


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