大熊氏廣・鈴木長吉《福澤諭吉還暦祝 灯台》の修復
福澤諭吉還暦祝賀会で募られた寄付金によって制作された還暦祝の品である。フランスで鋳造技術を学び、西洋彫刻導入の先駆けであった大熊氏広(1856-1934)と江戸の伝統を受け継ぐ金工師鈴木長吉(1848-1919)のコラボレーションは、明治という近代の幕開けが江戸時代と地続きの中で成立していったという歴史を目の当たりにする貴重な資料となっている。近代彫刻研究の観点からも大変に珍しい貴重な作例である。灯台を取り巻く波は銀製、岩は銅製、灯台本体は赤銅などの合金で、2種類を用いて5段のストライプ状となっている。天蓋の上、頂点には純金製の風雨計付き、電気仕掛けで回転式電灯が点灯する仕組みになっていた。完成時に寄付者宛ての報告書が作成されており、完成時の状態の写真および、材料や寸法を詳細に記した図が掲載されていた。今回の修復に際して重要な参照文献となった。特に上部復元はこの資料があって初めて可能な作業であった。本作品は、長く破損状態のまま、倉庫に保管されていたが、創立150年記念「未来をひらく福澤諭吉展」開催を機に修復、一部復元を行い、展示可能な状態となった。
更に本作品のモデルについてであるが、『福澤諭吉伝』においてそのモデルが「有名なるスコットランドのエヂソン灯台」と記載されている。『慶應義塾百年史』には「「スコットランドのエヂソン灯台」(あるいはイングランドのエディストンの灯台か)」という記述がある。この記述の通り、
イングランドの「エディストン灯台(Eddystone Lighthouse)」がモデルであり、エディストン灯台の3代目(数え方によっては4代目)1756年にジョン・スミートンによって建造され、スミートンズ・タワーと呼ばれていた灯台であるということが、上記展覧会を機に判明し、福澤研究センター都倉武之氏が展覧会関連のウェブ・ページで紹介した。エディストン灯台は海中の岩上に設置されているため、この作品に見られるように足下が波に洗われるような姿が見られる。この灯台を描いた作品も多く残されており、ウィリアム・ターナーも水彩やスケッチを制作、その水彩画をもとにした版画作品も残されている。現在は新しい灯台に代わっており、役目を終えたスミートン・タワーは土台部分のみ元の場所に残して、上部は1884年にプリマスの高台に移築されている。このスミートン・タワーの姿と比較すると、当該作品は細部に至るまで、実際のタワーを写していることが分かる。
本作品は修復を経て、2009年1月から9月まで開催された「未来をひらく福澤諭吉展」に出品されたが、その展示撤去作業の折に上部落下の事故があり、展覧会終了後にその部分について再度修復を行った。この修復に関しても併せて報告する。
〔文献〕『未来をひらく福澤諭吉展』(展覧会カタログ)、慶應義塾、2009年、188頁
保存修復作業記録
A.2011年12月(展覧会修復では記録を依頼しなかったため改めての作成依頼による)
ブロンズスタジオ・黒川弘毅
B.2010年2月1日 ブロンズスタジオ・高橋裕二
作品
作者=大熊氏広・鈴木長吉
作品名=福澤諭吉還暦祝 灯台
制作年=1897年(明治30年)
材質=銀、銅、各種合金
寸法=高さ80.5 cm、幅45.0 cm
I.調査の経緯
2008年7月28日に慶応大学三田東館で、黒川が作品の現状調査・写真撮影を行った。
この後、翌年1月10日から東京国立博物館で開催される慶應義塾創立150周年「未来を開く福沢諭吉展」への出品のため、慶應義塾の展覧会学芸担当福士、ブロンズスタジオの黒川・高橋により、本作品の修復が検討された。電灯とその回転機構・時計の機能を復元せず、材料の一致を追求しない外形の復元にとどめる修復の基本方針が決定された。修復には、作品の法量及び各部の材質を図解した図版及び写真が掲載された明治30年の印刷物を参照資料に用いることが決定された。
11月、ブロンズスタジオで黒川・高橋が作品を分解して、再度調査と写真撮影を行った。回転機構・時計の機械的構造は調査しなかった。また、各部の採寸はしなかった。
II.各部の状態
1.燈台本体
避雷針・八角玉(この二つの部分を資料では雷徐針 金)と矢羽根(真鍮)、屋根(屋根・灯室・電灯内胴を総称して資料では上部 銅)は欠失していた。
①屋根
避雷針・八角玉(この二つの部分を資料では雷徐針 金)と矢羽根(真鍮)、屋根(屋根・灯室・電灯内胴を総称して資料では上部 銅)は欠失していた。
②灯室
灯室上段の格子は著しく変形し、桟には接合個所の破断と複数の欠失がみられた。
無色ガラス板8枚は脱落していたが、すべて残っていた。
これらのガラス板を下部内側で格子に固定する八角形の枠は健全に残っていた。
下段の梯子は変形し、上部の固定ネジ2個が欠失していた。上部のねじ穴は、本体側と合致していない。梯子側のねじ穴一つにはハンダによる補正がみられる。
灯室の下端は、塔身上面に設けられた八角形の開口にほぞ接合される。接合状態は堅牢さを保ち、良好であった。
③電灯内胴
電灯内胴のガラスを固定する桟は、破断が複数個所にみられ変形が顕著であった。
ガラス板8枚はすべて脱落していたが、赤・緑(資料では青)それぞれ2枚ずつの色ガラス板と4枚の無色(資料では白)ガラス板はすべて残っていた。
ガラス上部内側を固定する八角形の枠は健全に残っていた。
内胴は、下部の回転接点が回転機構上部の回転軸にはめ込まれ全体が旋回したと推定される。
電灯の電機部品は、ソケットと破断した回転接点、電線の一部が残っていた。
2.塔身
時計と塔身上段に内蔵された可動機構を取り外すため、塔身ベース上部−可動機構間の被覆電線を切断した。
塔身は、銅に少量の金と銀を含む黒味を帯びた合金a(烏銅合セ四分一)と銅に25%の銀を含む黄色みを帯びた合金b(四分一)が層をなしてほぞ状に接合されている。
電灯の回転機構が内蔵される上段と、時計が組み込まれる下段に分かれる。上段はほぞ状に接合されたa・b二層から成り、側面に取り付けられた電線を模したワイヤーもこれに合わせて分割されている。二つの層のほぞ接合はとりはずすことができる。下段はa・b・a三層から成り、ワイヤーは分割されておらず、ほぞ接合はとりはずせない。
これらのほぞ接合は堅牢さを保っており、良好であった。
経年での金属表面の酸化により塔身は全体が均質にくすんだ色調になって、2種類の合金のコントラストは弱くなり、強い光を当てなければ5層をなしていることが明瞭に識別できない。
7月の調査時、波涛・岩礁部から塔身の脇を伝って燈台本体に延びる電線を模したワイヤーは、上段2層及び下段が合致しておらず、塔身の組み立ては既定と異なっていた。
塔身上部の柵は、微量の砒素を含む銅の合金(黒味)で片側が押しつぶされ変形が顕著であった。
鎧戸(資料では窓扉 素銅)は2個所に脱落がみられたが、1枚が残されており1枚が欠失していた。
窓のガラス板は多くが脱落していて、欠失せずに残っているものは僅かだった。下段にある縦長窓のガラス板は残っていたが部分的に破損していた。ガラス板の固定材は見当たらなかったため、窓枠への固定方法は不明である。
引き戸(資料では入口扉 真鍮)は、半分開いたままで動かなくなっていた。
波の中から入り口に達する梯子(黒味)は欠失していた。上部の固定はネジ止め、下部は波涛側に梯子の下端を固定する凹みが設けられていた。
しぶきの粒が塔身内側からリベット状に留められているが、固定状態は良好であった。
3.波涛・岩礁
銀製の波涛部(資料では浪 銀)と銅製の岩礁部(資料では岩 銅)からなるが、金属表面の経年での酸化により、外側全体が均質に黒味を帯びた色調になっていて、異なる金属のコントラストは失われ識別できない。
波涛部の内側は銀の金属表面が良好に保たれていた。岩礁部は、波涛部とネジとの裏側での銀鑞による鑞付けで固定されている。
波涛部は、下側の角8個所にハンダ付けされた金具により、八角形の底板にネジで固定されている。2個の金具が脱落していた。
4.底板・塔身ベース
塔身は底板に載る木製ベースで支持されている。木製ベースは底板に固定されていなかった。塵埃の堆積が顕著にみられたが、調査時に清掃して除去した。
明治30年に印刷された写真から、本作品が木製盆台(資料では臺 臘色艶消塗り)に載せられていたことがわかる。木製盆台は欠失しており、底板裏側の電動部絶縁カバーと、これから外に延びる電線はこれに合わせて失われたと推定される。
5.回転機構
ゼンマイ式の回転機構は機能しておらず、故障個所は調査しなかった。
回転式の電気接点は脱落し、鉄製パイプの断片が回転軸の上端にはめ込まれていた。これ以外の部品について、欠失の有無は不明である。
6.時計
時計は機能しておらず、故障個所は調査しなかった。
時計の長針と円環状の外蓋(資料では時計側 金)が欠失していた。
時計の振り子は取り外され、歯車部品2点が脱落していた。
これ以外の部品について、欠失の有無は調査しなかった。
A.展覧会展示に向けての修復
【作業の基本方針】
材料の同一性を条件とせず、外形の復元を修復の基本方針とする。
電灯とその回転機構・時計の機能は復元しない。
修復作業では、作品の法量及び各部の材質を図解した図版及び写真が掲載された明治30年の印刷物を資料として参照する。
欠失した避雷針・八角玉(この二つの部分を資料では雷徐針)・矢羽根・屋根、塔身下段の梯子の外形を復元する。寸法と形状は上記資料の写真にもとづく。
欠失した鎧戸(資料では窓扉)1個を、他の部品からの型取りにより復元する。
時計長針は外形を復元し、円環状の外蓋(資料では時計側)は断面形状が不明のため復元しない。
これら欠失部品は、真鍮、ポリエステル樹脂等入手しやすく加工しやすい材料を使用して外形を復元し、塗料の着彩によって各部の色を周囲と調和させる。
木製盆台(資料では臺)は復元しない。
塔身と波涛・岩礁は、当初の金属光沢を復元せず、各部の色調はすべて、経年での酸化を被った現状のままとする。
【作業内容】
Ⅰ.洗浄
水道水と精製水、陰イオン系洗剤を用いて、各部を洗浄した。
Ⅱ.各部の復元
1.燈台本体
①電灯内胴
ガラス枠の桟は、破断個所をハンダで接合して着彩し、ほぼ形状を復元した。
枠にガラス板を組み込んだ後、上端内側に八角形の枠をはめ込み、これを外側の枠にハンダで固定した。この個所へのハンダの使用は、当初とは異なる。
②灯室
上段格子の変形を矯正した後、欠失した桟を木材で復元し着彩を施した。
ガラスを上部で固定するとともに内胴の上部を固定する天井板を、アクリル樹脂の板材で作成した。灯室上縁との接合には粘着テープを用いた。
電灯内胴を灯室下部で固定する底板を、カーボンファイバー入りポリエステル樹脂で作成した。内胴の床に加工されていたネジを取り外して、このねじ穴を利用して内胴を灯室にボルト固定した。
下段梯子の変形を矯正した後、ネジ穴が合致していない上部は銅線を用いて、下部は既存のネジを用いて灯室に固定した。
③屋根
塑造で屋根の外形を作成し、これを型取りしたシリコン鋳型にカーボンファイバー入りのポリエステル樹脂をキャストして屋根の主要部を成形した。灯室の色調に合わせて着彩を施した。
灯室と屋根は、ほぞ状のはめ込みだけで固定され、着脱可能である。
避雷針・八角玉・矢羽根は、エポキシ樹脂と真鍮の板・丸棒・管材で成形した。矢羽根が回転するように部材を組んだ。樹脂の部分には金色の着彩を施した。
避雷針の軸下部は、八角玉上部の管に挿入されており、取り外すことができる。
2.塔身
①柵
塔身上部から柵を取り外し、変形を矯正した。
上から圧縮されて変形を起こした個所は、部材のひずみが残った。
②鎧戸(窓扉)
脱落していたものから型取りした鋳型にカーボンファイバー入りポリエステル樹脂をキャストし、欠失していた鎧戸(窓扉)1個を復元した。一層目後側にこれを窓枠に接着剤で固定した。この個所は開閉しない。
脱落部品を他の部品と同様、開閉可能なように塔身に取り付けた。ヒンジピンにはステンレス線を使用した。
③窓ガラス板
残っていたすべての窓ガラス板は、内側でアルミニウム板材とステンレス線で枠に固定した。
可動機構ネジ巻きのためにもともとガラス板がなかった個所(二層目左側面)を除き、欠失した2個所のガラス板の復元は行わなかった。一層目の窓はすべてガラス板を欠失したままとした。
④梯子
欠失した梯子を真鍮等の銅合金材料で作成し着彩した。
段の横木は資料の写真に一致させた。塔身側壁との8個所の支持材は復元せず、下部が波涛部に設けられていた既存の凹みにはめ込んであるだけで、梯子は固定しなかった。
3.その他
①波涛部固定金具
ハンダがはずれて脱落した2個の固定金具をエポキシ樹脂系接着剤で接合した。
②時計長針
真鍮を用いて復元した。着彩は施さなかった。
B.展覧会開催後の修復
【作業前の状態および修復方針】
・今回の修復は、移動・梱包・輸送の際、塔が組み立て式であることを確認せぬまま取り扱ったが故の、点灯事故であると報告を受けている。損傷は特に塔の上部に集中し、「福澤諭吉展」前に修復した格子の部分は、ほぼ全ての個所で、半田付けをやり直すこととなった(12個所)。この格子はガラス枠ともなっており、形状矯正が必要である。現状ではガラスの組み込みが不可能である。
・塔の上部、柵はかなり歪んでおり、これを矯正する。
・修復個所は他に、時計下の引戸を可動化することと、戸ってのネジ取付。
・矢羽根の上下は折れ曲がっており、これを矯正する。
・天蓋組み込みに際し、現状では歪みがあり、これを矯正する。上記の矯正・修復を終えた後、全体の組み立て調整を行う。
【作業内容】
1.現状撮影(塔上部・全体)
2.現状撮影(破損個所・ディテール)
3.修復すべき個所の確認・色ガラス取り外し
4.修復開始
・半田による蝋付け・金工ヤスリ仕上げ(細銅板格子に主に)
・素通しガラス装着
・八画色ガラス部 装着
・天板装着
・天蓋装着・梯子矯正
・引き戸取っ手 ネジずれ、ネジ付け替え
・矢羽根矯正
5.組み立て・修復完了
【その他】
・収納用木箱は上部と下部を別々に収めるように改良を施した。
・組み立て方法を画像出示す手順書を作成し、収納用木箱に同梱した。
・塔内部の機械部は未修復のまま、別梱包し、上記収納木箱に同胞した。
写真は左から
写真1:全体図(作業前)
写真2:全体図(作業後)
写真3:灯室(作業前)
写真4:灯室(作業後)
写真5:手すり(修復前)
写真6:手すり(修復後)
写真7: 灯室 再修復個所
Date
A.2008年7月28日〜2009年1月5日
B.2009年11月〜12月
What's on
- SHOW-CASE PROJECT Extra-1 Motohiro Tomii: The Presence of Objects and Matters
- Introduction to Art Archive XXVII: Correspondence-Poetry or Letters and Affects—Shuzo Takiguchi and Shusaku Arakawa/Madeline Gins
- Correspondences and Hyōryūshi [Drifting-poetry]
- ラーニング・ワークショップ「放送博物館」で考えるーアナログ技術のこれまで・これから
- Ambarvalia XIV: Junzaburo and the Fukuiku: A Fresh Look at Modernism and Its Impact
- The 39th Anniversary of Hijikata Tatsumi’s Death: Talking together about Hijikata Tatsumi