長谷川栄作《引接》の保存処置
本作品は、長谷川栄作(1890-1944)の 1917(大正 6)年第11 回文展(文部省美術展覧会)出品作であり、同展の特選受賞作である。藤山記念日吉図書館、引き続き日吉メディア・センターにて保管されていた。藤山記念日吉図書館建設の1958 年に同図書館前身の藤山工業図書館より受け入れられたと考えられる。
文展特選作品であるにもかかわらず、メディア・センターに展示の適所がないことから、長らく倉庫に保管されており、外に知られないままであった。今後も展示の可能性が見込めないことから、日吉メディア・センターの所管から外し、三田キャンパスに移送するとともに、作品のケアを行うこととした。長年の収蔵過程において、一部破損や汚損を被っていたため、専門家による修復処置を施した。100 年近くを経た木彫作品であり、修復に慎重を期すため、まず状態の詳細な調査と修復方法の検討を行い、修復提案を得た後に、修復を実施した。[文献]文部省編纂『文部省第 11 回美術展覧会図録西洋画及彫刻之部』、審美書院、1917 年、8 頁/長谷川栄作『彫刻の手ほどき』、博文館、1927 年/『仏像インスピレーション』平櫛田中彫刻美術館、2008 年。
保存修復作業記録
2009 年 8 月 ブロンズスタジオ・高橋裕二/作業者:高橋裕二(ブロンズスタジオ)、村上芳明(木彫)
作品
- 作者=長谷川栄作
- 作品名=引接
- 制作年= 1917(大正 6)年
- 材質・技法=木
- 寸法= 168.5 × 62.5 × 54.5cm
- 藤山工業寄贈
【修復作業にあたって】
本像は 1917(大正 6)年作、木彫作品、第 11 回文部省美術展覧会出品作として知られ、同展特選受賞作である。長く慶應義塾に保管されていたものであるが、木彫という性質上、移動あるいは収蔵過程で少なからず破損、汚損の被害を被ってしまっている。
ひとつは水滴の落下由来とみられる像前面の脱色条痕汚損。もうひとつは左手小指の欠落である。幸い指先は大切に保管されており、接続補修は比較的容易と考えられる。しかし白色条痕汚損に関しては、十分な事前調査が必要であり、長谷川の制作方法、木質の特定、色調補整の方針などを慎重に検討することとした。
木質については木目の状態、道管が観察されることなどから、広葉樹であると確認される。また道管の配列が年輪に沿っていることから、環孔材の特徴を備えている。環孔材のなかで木彫に比較的良く使用される材には、欅、楢、栓、タモなどがあるが、木目の印象はタモ材に近似している。北方に産するタモは太い用材確保が現在では非常に難しい。しかし、明治末から大正にかけて、山崎朝雲がタモ材を用いた彫刻を発表していることから、当時比較的入手可能な材料であったのかもしれない。
制作方法としての特徴をいくつかあげると、まずこの木彫は点写機を用いた、星取で作られた痕跡が見られること。またそれを裏付ける資料として、長谷川栄作の著作『彫刻の手ほどき』(昭和 2 年)には点写機を自分で考案し、挽き落としの実例をも解説していることを付記する。
奈良の新薬師寺の薬師如来像に感化された作品として、両手の表現などに、非常に近しい形状がみられる。形状は仏像を引用しているものの、この「引接」の場合、仏像からはなれた表現―女性の裸婦であることを特徴づけるために、像表面になんらかの白色彩色したのではないかという疑問が残されている。具体的には右太腿前面に見られるような白い残留物が、木目の凹みにみられることや、この一個所だけのことではなく、右耳付近などにも同様のものが散見されることである。また、文展記録図録(文部省第 11 回美術展覧会図録)の図録写真では、印刷の不鮮明さはあるものの、頭髪の色調や地山の色調とは、明らかに明度差が異なったホワイトトーンが、裸婦に施されていたように見える。
白い残留物が、もし全体に施されていた時期があったと仮定してみても、現状の像から判断すると、それは固着力の非常に弱い、水洗浄で落とすことが可能なものであろう。またこの像の脱色条痕は水滴痕である可能性を示唆されたこともあり、色調補整には精製水を使用し、丁寧な明度補整を繰り返すことが最も適切な処置と結論づけた。
現状では、頭髪と地山が、著しく濃い色調となっているが、これらの部分には彩色が施されている可能性が高く、胸や腹部にも、やや明度を高くした茶褐色の仕上げを施したものとみられる。明度補整ではこの茶褐色を溶剤などを使用せずに、精製水で展色できるか否かが修復の要点となるであろう。
【作業内容】
1.現状撮影① 慶應義塾収蔵庫内(2007 年 12 月 18 日)
胸部中央の縦亀裂測定 最大幅 0.3mm
目視亀裂長さ18cm
現状撮影② ブロンズスタジオ修復室(2007年12月18日)
2.色調補整箇所確認像正面の脱色条痕以外に見られる、体側面および背面の色調不和範囲を確認。
3.左手小指接続作業切断している小指先端パーツは、そのまま仮付けしても、切断時の捻れと経年変化から、接合周囲が整合せず、内側に僅かな隙間が生じている。
切断面接着:酢酸ビニルエマルジォン使用
欠損部分充填:アクリル樹脂系エマルジォンパテ使用
充填部分補彩:アクリリックエマルシォン、シリカフラット使用
4.色調補整テスト 右胸上部と右腕が接する脱色条痕部分で、色調補整テストを行う。
綿棒に精製水を僅かに含ませ、脱色条痕部分を周囲の茶褐色部となじませ、ガーゼで水分を拭い、冷風で乾かす作業を繰り返す。
以降の色調補整作業は、僅かな範囲の作業を繰り返し行い、他エリアとの色調と比較しながら、全体的な整合をはかる。
結果:溶剤類・脱色漂白剤・顔料等は使用せず、精製水のみで色調補整可能。
5.色調補整作業
上記の手順に沿い、脱色条痕部分を周囲になじませる。
6.全体点検・色調微細調整
体側面・左腿に色調不和が目立ち、やや広い範囲にグラデーションを施す。
7.修復終了撮影
写真は左から
写真1:修復前
写真2:修復前
写真3:色調調整作業
写真4:左手小指、破断面
写真5:左手小指、接着
写真6:左手小指、充填部分補彩
写真7:修復後
Date
2007年 12 月 19 日~ 2008年8月31日
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