慶應義塾大学アート・センター Keio University Art Center

瀧口修造1958−旅する眼差し

1958年、瀧口修造はヴェネツィア・ビエンナーレ日本代表および審査員として渡欧し、4ヶ月半にわたって各地を訪ねた。 本展は瀧口の生涯の転回点となったこの欧州旅行に焦点をあて、瀧口自身が撮影した「写真」や関連する様々な「モノ」を通じてこの旅にいわば「同行」し、公人として私人としての瀧口の姿を再発見する試みである。

Date

2005年12月5日〜16日

Venue

日吉キャンパス 来往舎ギャラリー

Audience

Enquiries and bookings


Date

2005年12月5日〜16日

Venue

日吉キャンパス 来往舎ギャラリー

Audience

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Organiser(s)

慶應義塾大学アート・センター


瀧口修造プロフィール

1903年、富山県生まれ、79年、東京都で死去。詩人、美術評論家、造形作家。

慶應義塾大学文学部英文科に在学中の1926年、詩人の西脇順三郎と出会う。シュルレアリスムに傾倒し、日本語によるオートマティスムを追求した「詩的実験」をはじめ、翻訳、詩・美術・写真に関する評論などの執筆活動を開始する。第二次大戦中の思想統制下には 8ヶ月あまりにわたって留置場に拘置されるが、純粋なシュルレアリストとしての姿勢をつらぬいた。戦後は美術批評家として「タケミヤ画廊」や「読売アンデパンダン展」の企画にかかわって若い美術作家の発掘、育成につとめる。一方、58年のヨーロッパ旅行の後、60年代に入ると、しだいに職業としての執筆を拒むようになり、やがて「私も描く」という言葉とともに、みずからの造形活動を展開することになる。

1903年、富山県生まれ、79年、東京都で死去。詩人、美術評論家、造形作家。

慶應義塾大学文学部英文科に在学中の1926年、詩人の西脇順三郎と出会う。シュルレアリスムに傾倒し、日本語によるオートマティスムを追求した「詩的実験」をはじめ、翻訳、詩・美術・写真に関する評論などの執筆活動を開始する。第二次大戦中の思想統制下には 8ヶ月あまりにわたって留置場に拘置されるが、純粋なシュルレアリストとしての姿勢をつらぬいた。戦後は美術批評家として「タケミヤ画廊」や「読売アンデパンダン展」の企画にかかわって若い美術作家の発掘、育成につとめる。一方、58年のヨーロッパ旅行の後、60年代に入ると、しだいに職業としての執筆を拒むようになり、やがて「私も描く」という言葉とともに、みずからの造形活動を展開することになる。